くぼみかハートか
峡谷に架かるアーチ橋から川面をのぞこうとすると、張り出した岩の上部にくぼみを見付けることができる。自然に穿たれたそのくぼみに雨水などがたまると、ハートマークが浮かび上がる。十数年前から口コミやSNS等で盛り上がり、「恋人の聖地」としても認定されているようだ◆いつの間にか故郷の新たな観光名所となっていた。くぼみ自体は以前から存在していたが、その形状が話題となることはなく、むしろ子どもたちがいたずらで小石を投げ込むのにちょうどいい的になっていたと記憶している◆今では誰もがハートマーク以外には知覚できなくなっている。一度他者からイメージを植え付けられると、以前のようには対象を認識し難くなる。往々にして我々はそうした心の働きに振り回されがちだ◆好きだった作家が見知らぬ誰かにSNSで非難されているのを知った途端に敬遠するようになる、それまでごみ同然に扱われていた芸術作品が鑑定によって本物だと判明すると手放しで称賛されるようになる、なども同じ心の働きによるものだろう◆ただし、こちらの認識が更新されてしまっただけで、観察の対象は何も変わってはいない。くぼみはやはりくぼみである。それが観光名所になる分には何ら問題はない。とはいえ自分自身の認識が他者によって振り回されそうになる時、いつもあのくぼみのことが思い出される。(佐藤慎太郎)