「檗画院」主宰し芸術家育成 檗画僧としても活躍
滋賀県米原市・黄檗宗西圓寺 内藤香林住職
滋賀県米原市の黄檗宗西圓寺の内藤香林住職(70)は「檗画僧」として芸術を通じ、黄檗禅の世界を表現するとともに、1994年から芸術家育成塾「檗画院」を主宰し、ジャンルにこだわらず塾生それぞれに備わった感性を作品にする指導を行っている。
「檗画院ではみんなが同じものを描いたり造ったりすることはなく、水彩、油彩、水墨画、木彫、彫塑等々塾生が好きなものを創作します。技法は教えることができても感性を教えることはできませんから。それぞれの感性を具現化して作品として表現する方法を指導しています」と語る。
今から350年前に隠元禅師は明から黄檗禅と共に当時の最先端の文化や芸術を伝えた。先に日本に渡り、隠元禅師を招聘した逸然性融(長崎・興福寺住職)ら画僧もおり、檗画僧と呼ばれてきた。
黄檗宗寺院に生まれ、独特な色彩の荘厳や法具、供物、頂相などを見て育った内藤住職は、子どもの頃から絵を得意とし、特に色使いの評価が高かったという。美術の専門学校・藤川学園(現京都芸術大)では幅広く世界の芸術を学び、腕に磨きを掛けた。
その腕前が宗内でも評判となり、得度後は画僧として活躍。いつしか黄檗宗の芸術活動の復興を志すようになり、檗画僧として活動し、檗画院を設立して芸術家の育成に力を注いできた。
中国仏教協会の趙樸初会長の知遇を得て、1976年には北京の歴史革命博物館で日本人初の個展を開催。高い評価を得て福建省の萬福寺(古黄檗)の復興にも携わった。
黄檗文化学会のある福建師範大の客員教授も務め、隠元禅師ら古黄檗の頂相に見られる「工華蕃画法」の復興にも取り組んだ。清の乾隆帝をはじめ、愛新覚羅帝の肖像画もこの古代肖像画技法で描かれているが、途絶えてしまっていた。
中国では黄檗文化学会へ招待され、宗門では日中友好交流委員会の書記長を務め、宗内の様々な行事のアートプロデュースも手掛けている。
昨年からは塔頭東林院(京都府宇治市)の住職を兼務し、芸術活動による復興に取り組んでいる。
檗画院は毎月第3日曜の午後に大本山萬福寺(同市)と東林院を会場に催している。「芸術大学に発展させたい」と大きな夢を語る。
(河合清治)