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自死遺族の苦悩① 悲しみの底、続く苦しみ

母は携帯画面で亡き娘と対話する気持ちになる 母は携帯画面で亡き娘と対話する気持ちになる

母親は8年前に先立った娘の白い折り畳み式携帯電話の電源を誕生日が来ると入れ、「おめでとう」と自分の赤い携帯からメールする。とうに契約が切れて受信できないそのディスプレーにはしかし、一周忌前に送った「おめでとう」が残る。友人から死後に届いた「お世話になったわ」のメールも。2011年に25歳だった三女の君子さん(仮名)を自死で失った藤山房江さん=同=(65)は、家族から「死んだ娘の年を数えるな」と言われてもやめる気はない。握りしめた君子さんの携帯の画面が涙でにじむ。肉親、特に子供を自死で亡くした遺族の悲しみは想像を絶するほどだ。そのいつまでも続く苦しみの体験を何人かが語った。

房江さんは「なぜ?」がずっと頭にこびり付いている。君子さんは恋人と結婚を話し合っていたが、仕事がきつくて鬱状態になり話が延びていた。彼の家に泊まった翌日の夕方、その家人のいない部屋でひもで首をつった。運ばれた病院で変わり果てた姿を見た房江さんは全身の血が凍りつく思いだった。亡きがらは自宅2階の娘のベッドに寝かせた。後は真っ暗闇をさまようようだ。娘の車を取りに行っても怖くて現場は見られず、彼に理由を尋ねても不明。先方の家族に通夜にだけは来てもらったが、迷惑も掛けたので「もうこれきりに」と告げた。四十九日まで何度も弔問に来る彼にも「引きずらないで」と言うしかなかった。

だが検視した警察官の「男の力で絞めても同じようになる」との言葉が耳から離れず、ひょっとして彼に言ってしまうかもと怖くなった。警察には「生命保険は?」とも聞かれた。どう考えても自死の原因は分からない。娘の最後のメールは当日の昼、「母さん、今日は晩ご飯いらないよ」だった。母は外泊に厳しいのにもう1泊する気だったのか、それとも死の予告なのか。房江さんはひどい鬱になったが、妹の遺体を見て放心状態の次女の様子に何とか後追いは思いとどまった。あの前日、君子さんの布団を干した。娘は干した布団をいつも「いい香り」と喜んだが、母はその日の香りを思い出せない。

その後も、悲しみのどん底で周囲の言いようのないまなざしにさらされているような気持ちだった。近所にも何も知らせずひっそり家族葬にしたが、次女が連絡して同窓生らが何十人も訪れた。皆が自死を知っているようだったが、棺に花や手紙を入れ、顔に触れて別れを惜しんでくれた。房江さんはうれしい半面、これだけ友人がいたのに死を決意するまでSOSを出せなかったのか、誰も気付いてくれなかったのかと思った。しかし、その思いは自らに突き刺さる。「助けてやれなかった。全て私の責任」

「何より姿が見られないのがたまらない」と房江さんは唇をかむ。娘の友人が結婚して子供を産んでもつらくて見られない。三回忌が過ぎても、自分が何かで笑ったり空腹で何か食べるたびに罪悪感を抱いた。仏前への供え物の下がりを口にする時も、普段の食事でも「ごめんね、ごめんね」と言い続けた。重苦しい塊のような自責の念、晴れない悔い。「命より大事な娘を亡くしたのに、娘は笑いも食べられもしないのに、私はこんなにまでして生きるのか」と。そして、そんな気持ちを誰にも打ち明けられないのが苦しい。七回忌を過ぎ、悲しみを募らせる姉たちを思いやって風呂や車の中で一人になり、泣きながらつぶやく。「私が往くまで、きっとそちらで待っていて」

(北村敏泰)

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