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デタッチメントを越えて 「現場」に関与する姿勢を

東京工業大教授 弓山達也氏

時事評論2018年12月14日 13時37分

この秋、2件続けて博士論文の審査委員会に加わった。一つは被災地を中心とした地域と神道文化に関わる論文で、もう一つは教派神道を扱った著書である。

対象も方法も異なるが、執筆者が対象に深く関わるという点で共通している。前者はボランティアとして、また学生を引率するなど、単なるフィールドワークを越えたコミットメントを主調とする。ある時に作業着とスーツを両方抱えて調査に赴く執筆者に会って、その荷物の大きさに驚いたことがある。後者は教学や歴史研究に飽き足らず、自ら行をなし、道場で指導的立場にまで位階が進んだうえでの研究成果である。

宗教学の業界ではよく知られていることであるが、戦後、現代宗教研究ではデタッチメント(対象に関わらないこと)が旨とされた。しかし70年代になると内在的理解といって対象の側に立ったり、研究者の生き方を対象に重ね合わせたりする研究手法が出てきた。そこには対象に対する共感があったことは言うまでもない。しかしそうした研究者と研究対象との蜜月はオウム真理教の地下鉄サリン事件で頓挫。再び研究対象とは距離をとることが求められるようになった。

こうした状況を転じさせたのが東日本大震災だ。研究者と宗教者が協働して被災地支援にあたったり、臨床宗教師のような資格制度の整備に双方が関わるようになったりしたことで、両者の距離は縮まった。冒頭の一番目の研究はこうした動向の延長線上にある。しかし距離が近くなったからといって、そこに問題がない訳ではない。

かく言う筆者も、ここ数年は関与型調査といって、研究対象である宗教者などと協働し、価値を共有するところに方法論的革新が生まれると論じてきた。そして本コラムで時々報告するように、被災地で祭りのお手伝いをしたり、僧侶と路上生活者のためのおにぎり配りをしたりしながら調査をしている。ただそれにより錯誤に陥ることもある。

第一の錯誤は、自らを研究対象と同化させたり、代弁者と勘違いしたりするものであろう。同じ方向性や価値を共有することと当事者になることは異なる。ある事件をめぐって、一方の当事者に無前提に与した筆者の本コラムに対し、「当事者以外は慎重であるべき」との投書(本紙11月14日付)を頂いた。筆者の思い違いと物事を見極めようとしない怠惰に対する正確な指摘と考えている。

もう一つの錯誤は独善性だろう。被災地支援のようにおおよそ誰もが支持することはともかく、対象としての宗教は価値に関わる。例えば情操教育に宗教者が関わるべきだとか、公共空間に教団がもっと進出すべきとかとなると、意見は二分されよう。一方の意見に関与することで見えなくなるものがあることに無自覚となる危険性が潜む。

冒頭の博士論文の2人はかかる錯誤なく宗教者に寄り添い、現場に関わり続けるだろう。筆者も覚束ない足取りながら後を追いかけたい。デタッチメントを越えた先に、どのような研究上の突破があるのか明確な像は結ばれていない。批判を糧とし、関係各位の指導を仰ぎつつ進んでいきたい。

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