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「令和」の社会現象 「宗教」理解の変化と浸透

北海道大名誉教授 土屋博氏

時事評論2019年8月9日

カレンダーの季節と現実の気候が少しずれるのは珍しくないが、今年は特にずれが大きく、気候自体の変化が感じられる。雨天が多く、日照時間が少ない。しかしその中で北海道はやや例外で、ほぼ毎日太陽の出る時間があった。これも一応例年通りであるとしても、改めて道内では太陽の恵みが感じられた。

朝、目覚めて窓から差し込む太陽光線の存在を認める。その時の感覚は、「宗教」の根源を太陽神崇拝や「アニミズム」(エドワード・B・タイラー)に見いだす理論を納得させる。こうした感覚は、現実の既成宗教集団の教えと矛盾はしないが、それらを多かれ少なかれ相対化する。

例えば日本の天皇制は独自の宗教色を帯びており、実際に既成教団とのつながりも保ってきた。しかし今日、そのつながりの具体的色彩はいつの間にか無意識のうちに消滅して、新しい形が生まれつつある。これは天皇の生前退位の結果だが、既成教団とのつながりを断つことを直接目指したわけではない。ごく自然に周囲の状況が変化していったのである。

この変化は現代世界において「宗教」が直面せざるを得ない方向と重なり合う。時期や現れ方に違いがあるとしても、既存の「宗教集団」はいずれも遅かれ早かれ相対化されていくであろう。日本社会では、天皇制の「非宗教化」がその先駆けとなった。

「令和」を「新時代」と呼びたければ参議院選挙の具体的結果などではなく、日本社会における天皇制の受け取られ方の静かな変化とそれに伴う既存の「宗教」の気づきにくい変動にこそ注目すべきであろう。これは重要な兆候である。

選挙で国民は、それぞれがイメージする「安定」した生活を票に託する。特権を持つ政治屋たちはそこへつけ込む。きれいごとを並べて人びとに期待を抱かせ、本来の議論を避けて政権の安定につなげようとする。だが、年金問題が象徴するように、その発言は空しく具体的根拠がない。

その空しさには、始まりの時点ではなかなか気づかない。そして、結果が現れた時には「自己責任論」が政治の無責任を正当化しようとする。社会の具体的現実など政権の担当者たちにわかっているとは思えない。それでも人心をつなぎ留め、支持を得なければならないので、実現するとは考えにくい公約を立てる。そして本質的には無責任を意味する「自己責任論」に行きつくのである。

例えば、対外的には分裂する世界の一方に歩調を合わせるのは政治にとって安易な選択で、それによって日本の国際的立場は正当化されるが、同時に重荷を負う。「宗教」集団にとっても、国が一方に取り込まれることは、自由を縛る決定的な「足枷」になる可能性があるが、足元の不自由を実感するまで変化には気づかないだろう。

さて、天皇制をめぐる変化に話を戻す。変化のきっかけは上皇ご夫妻の英断であった。それはほとんど無意識のうちになされたことで、国民の静かな支持も同様である。結果は「革命的」だと考えるが、後戻りはできない。日本の社会の中でその影響は天皇制と関係を持ち続けた宗教そのものの理解にも及ぶはずだ。

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