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コロナ禍「節度ある楽しみ」 生き方を見直していくべき

東京工業大教授 弓山達也氏

時事評論2021年7月9日 10時56分

「平和」「スポーツ」が冠せられる「祭典」が間もなく開幕する。当初掲げられていた「復興」には程遠く、またコロナに打ち勝った証しという訳でもなく、なし崩し的に開催されることに多くの批判や諦めが募ることは当然だろう。

禁酒令にも近い飲食店関係を狙い撃ちした施策、イベントなどの制限の一方で、官製の祭典はオッケーだというのだから合点がいかない。自粛を呼びかけつつ、自分たちは会合・飲酒している役人や政治家に対するのと同じようなやり切れなさが広がっている。

最近、久しぶりにイヴァン・イリッチの著作を読み直す機会があった。イリッチはカトリック神父(後に資格剥奪)で、現代社会・文明を制度や技術の面から批判する『脱学校の社会』『脱病院化社会』などで知られる。大学生の頃に読んだ時は、現代社会を「操作的」、つまり管理や監視される対象としてとらえる見方に感銘を覚えたものだ。ただその時にはイリッチが「操作的」の対として「相互親和的」という概念を置いたことには、あまり注意を払わなかった。訳語にピンとこなかったというのが正直なところだ。

その後、この「相互親和的」(原文ではconvivial)という語に別の訳語が当てられ、その中に「自立共生的」「共愉的」という訳語があるのを知った。convivialは英語としては「お祭り騒ぎ」だが、イリッチは「節度ある楽しみ」という意味を付与している。人々が主体的に愉しむという自律した人間観がうかがえよう。

さて件の祭典だが、6月の世論調査では中止と開催の両意見が拮抗し、7月には開催中止を求めるオンライン署名が44万筆を突破した。中には中止ではなく、廃止の声すら聞こえる。その背景にはコロナ禍だけではなく、商業主義と政治の思惑があまりにも露骨になりすぎたということに対する嫌気もあるのだろう。

ここまで世論が割れても開催するとなると、この祭典は、とてもconvivial、自律的とも共愉的とも言えない。むしろ金メダルの一つでもとれば皆大喜びだろうと、人心を管理する「操作的」な意向が見え隠れする。携帯料金値下げ政策と同様、安く簡単にモノが手に入れば国民は文句を言わないだろうと、人を消費者としてしか見なさない人間観が横たわっている。

翻って「祭り」はどうだろう。今年もまた自粛・縮小の報が届くようになった。もちろん「お祭り騒ぎ」をしろと言っているのではない。自粛するにせよ、縮小するにせよ、そこに当事者の主体的な意味づけがあれば、きっとコロナ後には、祭りは本来の意味での共愉を取り戻すと期待している。逆に言うと状況に振り回されている限り、コロナ禍が明けても、スポンサーや行政の顔色をうかがうような事態は続くだろう。

オリンピックにせよ、祭りにせよ、飲酒にせよ、何のために行うのだろう。コロナは私たちに私たち自身の生活を見直すことを教えてくれた。イリッチの「節度ある楽しみ」にはアリストテレスの「善く生きる」という発想があるようだ。「善く生きる」を念頭に、このこと自体の議論も含め生活を、もっと言うと生き方を見直していきたい。

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