PR
購読試読
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
お位牌Maker
PR
宗教文化講座 翠雲堂

「いのちの教育」への期待 生命軽視、宗教の叡智いかせ

東京工業大教授 弓山達也氏

時事評論2022年1月28日 14時49分

学校現場で「生命の安全教育」が昨年から始まった。いのちの教育に似ているが言い換えではない。子どもたちが性暴力の加害者・被害者・傍観者にならないために、文部科学省が昨年4月に幼児から大学生、一般までを対象とした各教材と手引書を作成したのだ。

性の尊厳は生命尊重の重要な一角をなし、その意味で、今般の動向もいのちの教育の一環といえる。だが性の尊厳を焦点化したものの、自他の生命の尊重や生命そのものへの畏敬の念といった従来のいのちの教育にどう接続させるかが課題となるであろう。

そもそもいのちの教育は1990年代後半の少年犯罪の深刻化を社会背景に、中教審の「生きる力」路線(一般には「ゆとり教育」といった手段のみが注目された)をともない、研究者によって提唱された。その後、2002年から文科省の道徳教育推進事業が始まり、いのちの教育に特化したモデル校もでき、都道府県にバトンタッチされ、その影響は地方文部行政にも及んだ。

この時評の執筆者だった堀江宗正編『現代日本の宗教事情』にも書いたが、かかるいのちの教育を牽引したのは臨床心理学者の近藤卓と小児科医の中村博志で、いのちを近藤は「生」から、中村は「死」からとらえようとした。英語圏でいのちの教育はデスエデュケーションといい、日本でも当初は死の準備教育と訳していた。ただ日本の現世中心の文化風土のせいか、この用語より「いのちの教育」の方が定着し、学校教育でも「生」からいのちをとらえる方が主流だ。

研究ベースでいうと、ここにもう一つの動向が加わる。やはり前世紀末から上越教育大で市民を巻き込み、得丸定子が続けてきた「いのち教育研究会」が、それにあたる。昨年末には同研究会の公開セミナー「いのちの学びは、なぜ必要か」も開催され、筆者も登壇した。「いのちの教育」と「いのち教育」で微妙に呼称が異なるが、この流れは「生」のみならず「死」もタブー視せず、また宗教者、宗教研究者も関わる点が特徴的だ。

本来、生と死といったら宗教者の専売特許のようなものだ。しかしここに「教育」「学校」がつくと、宗教者は関わりづらくなる。公教育となるとなおさらである。もちろんいのちの教育に、お遍路接待や戦没者慰霊など、宗教的要素を取り入れている公立校はある。それは地域的な特殊性に依るところが大きいが、地域教育や平和教育と合わせての実施や、社会教育との連携など、宗教者がいのちの教育に関わるヒントはありそうだ。

「生」を重んじるといっても、近藤を理事長とする日本いのちの教育学会も「死」を排除している訳ではない。理事にも企画にも僧侶が関わり、2月にオンラインで一般公開される研究大会では「四十九日間の回復力」というテーマで葬儀に関するラウンドテーブルが組まれている。

学校教育では今、学力向上が焦眉の課題で、冒頭の生命安全教育が提唱されたものの、一時のいのちの教育熱は後退している。しかし自他の生命軽視が広がる中で、「生」「死」に関わってきた宗教の叡智が学校現場でいかせないかと思う。

ネイションへの埋め込み 時代逆行の「大きな物語」 櫻井義秀氏5月13日

2月24日、ウクライナにロシア軍が北東南から侵攻してから2カ月以上経った。約500万人の女性と子供が西から国外に逃れ、国内では移動できない高齢者をはじめとする約4千万人の…

若い学生たちが目指す未来 共生社会へ変革する力に期待 稲場圭信氏4月22日

この春、『阪大生の宣言文2 今を生きる学生の目指す社会』をアマゾン電子書籍で出版した。 編集ボランティアの学生6人とともに本書の第1回編集会議をした2月24日にロシアがウ…

震災の記憶伝える伝承館 墓地への思いと祈り 弓山達也氏4月8日

コロナ第6波が下火になった2、3月、2年ぶりに福島県浜通りに続けて足を運んだ。延期になっていた浄土宗福島教区青年会の行事、2年間オンラインだった市民対話の未来会議の対面開…

いのちを社会で育てる 内密出産と不妊治療

社説5月20日

戦争の愚かさ 時代遅れの悪質なプライド

社説5月18日

介護用品贈与通じ 支え合いの精神広める

社説5月13日
このエントリーをはてなブックマークに追加