生誕100年の3人の日本人 3・11をどうとらえたか
東京大准教授 伊達聖伸氏
昨年11月9日に瀬戸内寂聴が99歳で亡くなった。本紙では天台宗妙法院門跡門主の杉谷義純氏が追悼記事を書いているし、碧海寿広氏も神智学と仏教史の記事で言及している。文芸誌も彼女の死を悼み、『ユリイカ』は特集を組んだ。弱者の痛みに心を寄せつつ主体的に生きたこの女性仏教者は、多くの人びとの共感を呼ぶ「国民的作家」のようでいて、国家と対決した女性を高く評価する「非国民作家」でもあったと日本近代文学を専門とする佐藤泉氏は指摘する。
瀬戸内寂聴は同じ1922年生まれのドナルド・キーンと『日本を、信じる』という対談本を2012年に出している。3月11日の地震発生当時は療養中で身動きできなかった寂聴は、津波と原発事故の映像にショックを受け、気付いたら両足で立っていたという。
キーンはニューヨークでテレビに釘付けになりつつ日本国籍取得の決心を固めた。「こんな日本になったからこそ帰化してくださるキーンさんの日本への無償の愛」に感激する寂聴に、キーンは「日本人になったからには、これまで遠慮して言わなかった日本への悪口も、どんどん言うつもり」と応じる。
日本に帰化したキーンの念頭にあったのは、日米戦争の厳しい時期に汽車の順番を静かに待つ東京の人びとを見て「こうした人々とともに生き、ともに死にたい」と日記に記した高見順の言葉だという。これは、米国留学中に日米開戦を迎えた若き日の鶴見俊輔が、日本が戦争で負けるときに自分は日本にいたいと思って帰国した姿にも重なる。
鶴見俊輔も1922年生まれ。『アメノウズメ伝』では、暗い時期にそこだけ光が灯るような人間を、この踊り上手の女神にたとえた。アマテラスが洞穴に隠れて世界が暗くなったとき、楽しい笑いで太陽神を引き出し、再び世界を明るくしたのがアメノウズメである。異なる人間を敵と見なさず、交流の糸口を作ったのもアメノウズメである。鶴見は瀬戸内寂聴をアメノウズメの系譜に位置付けている。こうした役を演じられるのは女性だけではないとも付け加えている。
3・11を鶴見は大きな枠組みでとらえようとアイザイア・バーリンを参照する。当時ロシア帝国領だったラトヴィアに生まれたこのユダヤ人は、ロシア革命後に独立したラトヴィアの反ユダヤ主義を逃れて英国に亡命した。バーリンを理解するキーワードは「難民」と喝破する鶴見は、原爆投下に続いて原発事故に見舞われた現代日本人を「文明の難民」と呼ぶ。
ラトヴィアは第2次世界大戦中にソ連領となり、ソ連崩壊後再び独立した。ウクライナもロシア革命を受けて共和国として独立したが、ソ連の構成国となり、冷戦終結後に再び独立した。北部にはチェルノブイリがあり、現在ロシア軍に占拠されている。
プーチンのウクライナ侵攻を受けて、日本人も「文明の難民」の見地から「難民」と連帯できないものか。機嫌を損ねた指導者をなだめ、対峙する相手の緊張を緩めるアメノウズメの登場に期待できないものか。
戦争と震災を潜り抜けた生涯を閉じ、今年生誕100年を迎える寂聴、キーン、鶴見。3人の知恵と生き方に学ぶことは多い。