「和解」と「祈り」 「公式の記憶」と事実の直視
京都府立大教授 川瀬貴也氏
先日、韓国映画『記憶の戦争』(イギル・ボラ監督、2018年)を見る機会を得た。ヴェトナム戦争において、韓国がアメリカの指揮のもと参戦したことはよく知られているが、この映画は1968年にヴェトナム中部のフォンニ・フォンニャット村で韓国軍が起こした民間人虐殺の生き残りの人を追ったドキュメンタリーである。
8歳の時に家族を殺され、孤児となったグエン・ティ・タンという女性を主人公として事件の痕跡を辿り、村で営まれる慰霊祭の様子や、訪韓した彼女が市民団体主催の模擬法廷で証言する姿がメインモチーフとなっている。
タイトルが意味しているのは、ヴェトナム参戦をめぐる韓国、そしてヴェトナムの記憶のせめぎ合いである。韓国においてヴェトナム参戦は「共産主義から世界を守るための正義の戦いであった」「派兵でアメリカから受け取った金が韓国経済を発展させた」という「公式の記憶」が根強い。
進歩系のハンギョレ新聞社が雑誌に「ヴェトナムにおける民間人虐殺」についての記事を掲載したところ、ヴェトナム戦の退役軍人たち2400人ほどがその新聞社を襲撃するという事件が2000年に起きている。彼らは18年のグエン・ティ・タンの訪韓の際にも「我々の名誉を守れ」と集会で気炎を上げる。
しかし、虐殺は事実であるとの見解も広がっていき、今ではNPOや有志による平和公園建設、慰霊碑建立、犠牲者供養などの活動がおこなわれている(代表的なNPO組織「ナワウリ(私と我々)」の活動については、金賢娥『戦争の記憶 記憶の戦争』三元社、09年、参照)。
一方ヴェトナム政府も、歴史上ヴェトナムに被害を及ぼしたいかなる国に対しても賠償を求めることをせず(アメリカにさえ!)、「過去にフタをして、未来に向かおう」という公式スローガンを述べ、このような民間人虐殺事件に関しても、韓国との関係悪化につながるとして、その「記憶の継承」を援助したりはしないというのが実情である(詳細は、伊藤正子『戦争記憶の政治学』平凡社、13年、参照)。
ただしこの映画で描かれているように、若い世代を中心に、「公式の記憶」に疑問を呈し、この事件に向き合おうという動きは継続している。ハンギョレ新聞社が退役軍人たちの襲撃を受けた時、記事連載の責任者であったコ・ギョンテ氏はその後も韓国・ヴェトナム双方の関係者のインタビューを継続し、その成果は最近日本語訳もされた(コ・ギョンテ『ベトナム戦争と韓国、そして1968』人文書院、21年)。この書では日本のベ平連の動きも取材され、「冷戦下の同時代史」といった趣になっている。
本稿執筆直前に、「社会参加する仏教」の提唱者であったティク・ナット・ハン師逝去のニュースを聞いた(1月22日)。「社会参加する仏教」のスタートには僧侶のヴェトナム戦争反対があったのは有名な事実だが、「和解」と「祈り」は切っても切り離せないものだと思う。この映画にも慰霊祭や寺院が出てくるが、改めて「社会参加する宗教」のあり方を考えさせられる映画でもあった。