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第15回「涙骨賞」受賞論文 本賞

現代の「マリア観音」と戦争死者慰霊

―硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島の事例から―

君島彩子氏
きみしま・あやこ氏=1980年生まれ。大正大大学院文学研究科比較文化専攻修士課程、総合研究大学院大文化科学研究科国際日本研究専攻博士後期課程修了。博士(学術)。としまコミュニティ大学(東京都豊島区の生涯学習機関)講師。専門は宗教学における物質文化研究(特に近代現代の仏教と美術関連)。論文に「戦争と平和のモニュメントー近現代における観音像の変容から」など。
《Madonna of Japan》(2015年3月7日撮影)《Madonna of Japan》(2015年3月7日撮影)
はじめに ―激戦の島々の「マリア観音」―

硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島、アジア太平洋戦争の激戦地として知られる島々に「マリア観音」と呼ばれる像が存在している。マリア観音と聞いて思い出されるのは、密かにキリスト教を信仰し続けたキリシタン信徒が、「聖母マリア」に見立てて崇拝した観音像であろう11主要辞書で「マリア観音」は以下のように解説される。『広辞苑』「隠れキリシタンが江戸時代、中国渡来の白磁の観音像を聖母マリアの代用として、ひそかにあがめたもの」。『大辞林』「江戸時代に、隠れキリシタンがひそかに崇敬した、観音像を聖母マリア像に擬したもの」。『大辞泉』「江戸時代、隠れキリシタンが聖母マリアに擬してひそかに崇拝の対象とした観音像」。マリア観音の研究では、「民衆による聖母マリアと観音の混同」(高田茂1970『石のマリア観音耶蘇仏の研究』立教出版会)、「観音の応身としての聖母マリア」(藤原暹1977「辺土仏「マリア観音」の深層」『季刊日本思想史』(3)、ペリかん社、pp.51-65)、「東アジア型の聖母マリア像」(若桑みどり2008『聖母像の到来』青土社)等の見解もあり、「見立て」という定説だけで隠れキリシタンの崇拝対象としてのマリア観音を論じることは難しい。。だが現代におけるマリア観音は、隠れキリシタンの信仰に限定されるものではない。そのひとつが戦争によって亡くなった人々の慰霊のために作られたマリア観音である。

マリア観音という名称の初出は大正時代である22永山時英が『切支丹史料集』(1927)において、帝室博物館に収蔵されたキリシタン信徒から押収史料を分類するために「マリア観音」の名称を用いたのが初出とされる(越中哲也1999「長崎文化考 其の一」『長崎純心大学博物館研究』(7)p.9)。また芥川龍之介の『黒衣聖母』(1920)には「麻利耶観音」という名称が用いられている。。当初は白磁製の観音像のみを指していたが、次第にキリシタン信徒によって崇拝された観音像全般を指すようになった33日沖直子2018「マリア観音」大谷栄一・菊地暁・永岡崇編『日本宗教史のキーワード――近代主義を超えて』慶應義塾大学出版会、pp.62-68。。マリア観音の名称は隠れキリシタンの悲劇の物語とともに広まり、やがて聖母マリアと観音のダブルイメージは新たな創作にも影響を及ぼした44大正期から昭和初期にかけて下村観山、荒井寛方、堂本印象等が、聖母マリアと観音像が融合したような絵画を手がけている。

作家の遠藤周作は、マリア観音が「母性的」であるため民衆の心を強く惹きつけたと述べている55遠藤周作1967「父の宗教・母の宗教――マリア観音について」『文芸』(1)pp.234-239。。近年の研究においてもマリア観音の幼児を抱く姿は、キリスト教と仏教という二つの普遍宗教の融合、さらに地母神などの母性に対する民衆信仰が凝縮されているとされる66若桑前掲2008、pp.381-383。坂本貴志2015「豊穣の女神とマリア観音」中村靖子編『虚構の形而上学』春風社、pp.49-77。。では戦争死者慰霊のために建立されたマリア観音においても母性が重視されたのであろうか?

個々の地域におけるマリア観音の正式名称と制作時期は以下の通りである。硫黄島の像は1958年頃に制作され、当初は「得体の知れない像」と呼ばれていたが、1979年に《マリア観音》という名称となった。レイテ島の像は1977年に「マリア観音」という名称でタクロバン市に寄贈され、地域住民から《Madonna of Japan》と呼ばれている。グアム島の《マリヤ(ママ)観音》は1982年に平和寺の本尊として安置された。サイパン島の《慈母観音(マリア観音)》は1990年に南溟堂の本尊として安置された。このうち幼児を抱く姿をしているのは、グアム島の《マリヤ観音》とサイパン島の《慈母観音(マリア観音)》のみであるため、造形的特徴から、マリア観音が求められた理由を「母性」に限定することはできない。

本稿では、硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島の事例の比較検討から、なぜ戦争死者慰霊においてマリア観音が求められたのか、そして現代のマリア観音が各地域においてどのような役割を果たしたのかを明らかにする。地域の歴史的な背景をふまえたうえで、マリア観音の発願者、制作者、儀礼を行った宗教者など関係者の言説から、マリア観音が発願された経緯を論じる。またマリア観音が現地でどのように受容されているのか、民間人が渡航できない硫黄島を除く地域では、フィールドワークをもとに現代のマリア観音の役割について検討を行った。

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