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現代の「マリア観音」と戦争死者慰霊

―硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島の事例から―

君島彩子氏
2章 レイテ島の《Madonna of Japan》

アジア太平洋戦争の天王山と呼ばれた「レイテ島の戦い」は、『レイテ戦記』2222大岡昇平1972『レイテ戦記』中央公論社。などの戦記文学などによってもその名が知られる。レイテ島最大の町タクロバンの公園に「マリア観音」は立っている。地元の人々から《Madonna of Japan》として親しまれ、像が設置された公園自体も「Madonna of Japan」と呼ばれ、ガイドブックにも紹介される観光名所となっている。

2.1 レイテ島の戦いと慰霊事業

レイテ島は多島海国家であるフィリピンの中央部、ビサヤ諸島に位置する南北180kmの細長い島である。フィリピンはスペインの植民地化でカトリック信仰が根付き、米比戦争を経てアメリカの植民地となった。アジア太平洋戦争が勃発すると、南方作戦の一環として日本軍がフィリピンに上陸、1942年5月にアメリカ軍が降伏を宣言し、日本の支配下となった。

1944年10月、「I shall return」という言葉を現実のものにしたダグラス・マッカーサーがタクロバンの砂浜に上陸し、戦いの口火が切られた。アメリカ軍は20万人以上の兵力を上陸させ、日本軍は充分な準備もないまま、アメリカ軍だけでなくゲリラ兵と戦うことになった。最終的に日本軍はレイテ島北西部のカンギポッド山に立てこもり、8万人以上が亡くなったとされる。

戦後、慰霊巡拝や遺骨収集が行われるようになると、日本軍の支配地域であったレイテ島北西部には、複数の慰霊碑や記念碑が建立された。カンギポッド山に近いビリヤバでは、多数の日本兵の遺骨が発見され収集活動が行われた。カンギポッド山で唯一生き残った日本兵である永田勝美が中心となり設立されたNPO法人「戦没者追悼と平和の会」は、ビリヤバの土地を買いとり、《日比合同慰霊碑》と遺骨を日本へ送るまでのあいだ安置する納骨施設を建立した。

毎年、ビリヤバの納骨施設では日本とフィリピンの合同慰霊祭が続けられている。以前は遺族の一人であった曹洞宗の僧侶によって法要が行われてきたが、僧侶が亡くなったあとは、地元のカトリックの司祭が慰霊祭を担当している。「戦没者追悼と平和の会」では、日本から慰霊巡拝が減少するなかで、慰霊施設を地域住民に活用してもらい、この場所が守られるように取り組んでおり、慰霊祭を行うホールは住民が自由に使用できるようになっている。また付近の小学校に校舎などを寄贈しており、慰霊祭では小学生によるダンスの発表も行われている2323戦没者追悼と平和の会2013『平和の灯』(24)、p.4。

日本関連の慰霊施設が多く作られた北西部に対して、東部のタクロバンはアメリカ軍司令部が置かれていた為、マッカーサーランディング記念公園などが造成され、アメリカの勝利を記念する色彩が強い。現在、タクロバン市内に建立された日本関連の碑は、《Madonna of Japan》と1995年に東京都遺族連合会とフィリピン観光局によって建立された《平和記念碑》だけである2424フィリピンの戦争死者慰霊碑は「フィリピン戦没者慰霊碑保存協会」によって網羅的に記録されている。http://www.pwmemorial.gr.jp/(2018年3月10日閲覧)。

2.2 マリア観音から《Madonna of Japan》へ

では《Madonna of Japan》はいかにしてタクロバンに建立されることになったのであろうか。中心的な活動を行なったのは兵庫県に住む主婦の坂本啓子であった。坂本は叔父と義理の兄がフィリピンで戦死しているため、6回にわたってフィリピン各地での慰霊巡拝と遺骨収集に参加した。フィリピンを訪れる中でタクロバン市長と話す機会を得て親しくなった。

坂本は、悲惨な戦いを繰り返すことのないように、友情と平和を誓い合う平和祈念のシンボルをタクロバン市に建立したいと市長に申し出た。この時、坂本は日本人だけでなくキリスト教徒の多いフィリピン人の慰霊を行うためには、仏教とキリスト教双方の意味をもつ「マリア観音」が最適であると考えた。市長はこの意見に賛同し、市庁舎前の5,000㎡の用地を無償で提供することになった2525『朝日新聞(阪神版)』(1977年3月8日)。。市長が坂本に宛てた手紙は以下の文章で始まる2626手紙はタクロバン市が発行した公式のものである。手紙の複写を《マリア観音》の制作者である谷井信市氏から拝見させていただいた。

Please be informed that we have located and reserved an ideal site where you may erect the monument of the Goddess of Peace "Maria- KANO".

「マリア-カノ」になっていることから坂本から聞いた言葉をそのまま記載したことになるが、話し合いの当初から「マリア観音」を建立することは決まっていたと考えられる。当初の計画では「マリア観音」の他に日本庭園を整備する予定であった。市長が無償で土地を提供した背景には、慰霊観光によって多くの日本人が訪れることを期待した可能性もあるだろう。

坂本が作成した寄付を呼びかける「マリア観音建立の趣旨書」には以下のように表記されており、「マリア観音」は慰霊を行うとともに「友好のシンボル」という側面が大きかった。

太平洋戦争全戦没者の慰霊の為タクロバン市のレイテ湾を眺望する丘の上に平和の女神像を建立、霊魂の上に安らぎあれと念じつつ全民族が恩讐を超えて平和のために手をつなぎ共に人類愛の道を歩むことは意義あることと信じます。

坂本は知人を通して、彫刻家の谷井信市を紹介してもらい、「マリア観音」の制作を依頼した。最初に谷井が制作した石膏製の縮小模型は、地球の台座の上に立ち、左手に戦争死者の頭蓋骨を抱え、右手を真上高く上げる西洋的な女神像であった。しかし慰霊像であるため、安らぎを覚える姿に変更して欲しいと関係者から申し入れがあり、形状を大きく変更することになった2727谷井信市氏からの聞き取り(2014年9月8日)。

完成した「マリア観音」は、約2.5メートルの御影石製の女性像である。ベール部分は白衣観音と同様に髻によって盛り上がるが、通常、阿弥陀如来の化仏がつけられる宝冠部分には、翼を広げた鳥が表されている。顔の表情や裙の衣紋など随所に仏像的な表現も見られるが、手には十字架を持っている。

1977年11月、「マリア観音」は海路でレイテ島へ運ばれ、タクロバン市庁舎前の海を望む公園の高台に建立された。地元のカトリックの司祭によるミサと地域の子供達の合唱とともに像は除幕された。盛大なミサを経て「マリア観音」は、住民から「日本から贈られた聖母マリア」として受け入れられた。像が建つ公園は「Madonna of Japan」と呼ばれ、市民の憩いの場となった。

2.3 レイテ島における台風の被害

2013年11月、穏やかな公園の風景が一変した。台風30号「ハイヤン」がレイテ島を直撃したのだ。巨大台風は高波を起こし、2万人以上の人々の命を奪った。御影石製の《Madonna of Japan》は破壊を免れたが、手に持った十字架は台風によって失われた。公園に植えられた樹木や周囲の柵は全てなぎ倒され、その景色は一変した。

台風の後「戦没者追悼と平和の会」に、《Madonna of Japan》の建立に関わった関係者から修復の依頼があった。同会では、破壊された公園の改修工事と十字架が失われた《Madonna of Japan》の修復を、台風によって失業した人々への就業支援事業として行った。この就業支援で得た資金をもとに、パイナップル販売やヤシの栽培など新たな仕事を始めた住民もおり2828修復作業に参加したオジー・ジュリエット・ラモス氏より聞き取り(2015年3月7日)、台風からの復興支援として《Madonna of Japan》が活用されたと言えるだろう。

修復後、公園は花が植えられるなど美しく整備された。2015年に筆者が訪れた際には、再び地域の憩いの場となっていた。《Madonna of Japan》が元の姿に戻ると子供が「友達のママに似ている」と抱きつくなど、地域の人々に好意的に受け入れられている2929タクロバン市で行なった地域住民4名からの聞き取り(2015年3月11日、13日)。『朝日新聞』(2013年11月20日)。

レイテ島の「マリア観音」は、超宗教的な意味付けによって、敵味方を問わない戦争死者慰霊と友好を象徴することを目的としていた。だが日本兵の慰霊が意識されることの少ないタクロバンに建立されたこと、儀礼において仏教僧が関わらなかったこともあり、「観音」の要素はあまり意識されなかった。そして強いカトリック文化圏に建立されたこともあり、日本の聖母マリアとして受け入れられた。日本から贈られた像であることが強調されることで、現在まで日本とフィリピンの友好の象徴としての役割を担い、近年も自然災害からの復興支援に活用されるなどその意味は存続している。

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