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現代の「マリア観音」と戦争死者慰霊

―硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島の事例から―

君島彩子氏
平和寺祭壇、左側の像が《マリヤ観音》(2015年12月14日撮影)平和寺祭壇、左側の像が《マリヤ観音》(2015年12月14日撮影)
3.2 平和寺の《マリヤ観音》

1982年、慰霊公苑内に「我無山平和寺(House of Prayer for Peace)」が建設され、本尊として彫刻家の芝良空によって制作された《マリヤ観音》が安置された。芝は、南太平洋戦没者慰霊団としてグアムを訪れた際にカルボに面会し、「仏像を作り安らかに皆が眠れるようにしてあげよう」と言われ深く感動した3737芝の生涯や言説については、芝を特集したテレビ番組『終戦50年記念、仏像を刻み平和を思う』(サンテレビ、1994年8月7日放送)を参照した。

戦時期に芝は、名古屋の陸軍高射砲台陣地に配属され、多数の遺体が運ばれていくのを日常的に目撃していた。この体験が平和を祈り仏像を彫る活動につながった。グアムを訪れる観光客にも戦争について知ってもらいたいと願い《マリヤ観音》を制作した。幼児を抱く《マリヤ観音》は、クスノキの一木造りで、顔や手の表現はガンダーラの仏像と天平期の仏像を意識し、腕に抱く幼児はイエス・キリストをモデルにした。《マリヤ観音》は、台座に「慈母観音 Saint Mary」と刻むことで、聖母マリアと観音のダブルイメージを伝えている。

完成した《マリヤ観音》は、平和寺落慶の式典でグアム知事夫妻の手で除幕された。真言宗智山派管長の上野頼栄が導師を勤め開眼供養が行われたのち、カルボによって祝福が行われた。この式典について報じた地元新聞は《マリヤ観音》を「Statue meant to represent the Blessed Virgin Mary of Catholicism and Jibo Kannon of Buddhism」3838『Pacific Daily News』(1982年9月3日)。と解説しており、仏教とキリスト教の双方のイメージを象徴する像であった。

落慶式典においてグアム総領事が代読した鈴木善幸内閣総理大臣(当時)からの祝辞は以下のように述べられた。

この平和を祈る家は、マリア観音を御本尊として、諸宗教者共同で礼拝する場としており、一つの御本尊に向かって、異なる信仰をもつ者が共に平和を祈り、英霊を追悼するという本日の式典は、まさに世界最初の行事と思われます3939「平和寺落慶式典式次第」(芝良空遺品より)。

また平和寺で配布されていたパンフレットには以下のように記載されている。

今ここに、南太平洋におけるすべての戦没者をお祀りして、怨親平等にご供養し、諸霊位のご冥福と、世界永遠の平和を祈念するため、財団法人南太平洋戦没者慰霊協会が中心となり、日米の仏基があい協力して、諸宗教共同の礼拝所とするこの平和寺を建立したものであります40401982年9月3日付けで書かれたこの文章の筆者は不明であるが、様々なパンフレットに転載されていることから、関係者の公式見解と考えてよいだろう。

「英霊」や「戦没者をお祀りして」という表現には、靖国神社などと同様に戦死者の顕彰が見られるが、《マリヤ観音》に願われたのは、諸宗教の共同によって全ての戦争死者を慰霊することであり、カルボのようなキリスト教者の協力がなければこの像は生まれなかった。

3.3 平和寺における仏教寺院化と平和学習施設化

平和寺は《慰霊碑》と同様に合掌した手を抽象的に表した形状をしており、天井、壁、床の全てが白で統一され、中央には南国の花と鳥を表したステンドグラスが設置されていることから、チャペルを彷彿させる建造物である。当初の平和寺は白い空間に《マリア観音》だけが祀られており、その存在感は大きかった。だが、1987年の終わりごろ、祐天寺から運ばれた高さ1.3m、金色の《釈迦如来坐像》が平和寺に安置された。《釈迦如来坐像》が中央に置かれ、上部には金色の天蓋が取り付けられたことで、平和寺は、仏教的な色を強めた。

さらに平和寺内には遺骨収集や慰霊巡拝で訪れる人々のために、写真によるグアム戦等の解説、遺骨収集の際に発見された、食器や武器などの遺品が展示されるようになった。空間が仏教的に変化しただけでなく、平和寺は資料室としての役割を担うようになったのである。

グアムを訪れる日本人観光客が多く、平和寺にも1日平均100名ほどの見学者がいる。歴史的な観光地の少ないグアムにおいて、平和寺は戦争について知ることの出来る数少ない場所である。ホテルが集中するタモン湾付近からは遠いが、グアム島を周遊するオプショナルツアーの全てに南太平洋戦没者慰霊公苑が含まれている41412014年11月時点。。さらに近年は修学旅行で訪れる高校生も増加しており、多い時には1ヶ月に70校が平和寺を訪れている。平和寺内の千羽鶴や寄せ書きの色紙は、修学旅行生によって奉納されたものが殆どである4242財団法人南太平洋戦没者慰霊協会グアム側事務局長、青木一美氏から聞き取り(2014年11月9日)。

他方で仏教施設が無いグアム島において、平和寺は仏教寺院としての信仰の場でもある。中国やベトナムからグアムへ働きに来ている人々にとって《釈迦如来坐像》が中央に安置された平和寺は礼拝の場である。祭壇には中国語とベトナム語で書かれた経典や中国式の線香が置かれ日常的に参拝者が訪れている。現在の平和寺は、日本人観光客のための資料館としての役割と、グアム在住の仏教徒のための寺院という二つの役割を担っていると言えるだろう。

《釈迦如来座像》が中央に安置されたことで、彫像としての《マリヤ観音》の存在は薄らいだ。だが、2007年から日本の仏教僧と現地のカトリックの大司教による合同慰霊祭に「マリヤ観音フェスティバル」という名称が使われている。日本国総領事やグアム知事も臨席する慰霊祭は、地元の新聞でも「Mary Kan-non Festival」として毎年報道されている4343『合同慰霊祭――マリヤ観音フェスティバル報告集』(2007年)南太平洋慰霊協会・全国グアム戦友会。

グアム島では現地のカトリック神父を中心に慰霊計画が進められ、仏教者とキリスト教者の双方がお互いに敬意をはらい南太平洋戦没者慰霊公苑や平和寺が作られた。平和寺の本尊として制作された《マリヤ観音》は、仏教とキリスト教の協力を示すとともに、制作者の戦争体験を反映した平和を祈る像であった。

平和寺に《釈迦如来座像》が安置をされたことで、《マリヤ観音》は本尊として意味を失った。しかし「マリア観音」のイメージは合同慰霊祭の名称として引き継がれ、仏教とキリスト教によって全て戦争死者を慰霊すること、そして日本とアメリカ・グアムの友好を願う活動は現在まで続いている。

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