PR
購読試読
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第16回「涙骨賞」を募集
PR
第16回「涙骨賞」を募集 中外日報宗教文化講座
第15回「涙骨賞」受賞論文 本賞

現代の「マリア観音」と戦争死者慰霊

―硫黄島、レイテ島、グアム島、サイパン島の事例から―

君島彩子氏
4章 サイパン島の《慈母観音(マリア観音)》

1990年にサイパン島のシュガーキングパークに建立された南溟堂は、グアム島の平和寺を参照し、全ての戦争死者を慰霊する本尊として《慈母観音(マリア観音)》が安置された。慰霊施設としては比較的新しい南溟堂は、他の慰霊碑とは異なる空間として捉えられている。

4.1 サイパン島の慰霊碑と仏像

長さ約20kmのサイパン島は、アメリカ自治領北マリアナ諸島となっている。グアム島同様にチャモロ人の住む島だったが、スペイン統治、ドイツ統治を経て、第一次世界大戦後の1920年、日本の委任統治領となり「彩帆島」となった。24年間にわたり日本統治が続いたため、日本から多くの移民が移住し、アジア太平洋戦争中は日本軍司令部が置かれた。

1944年6月にアメリカ軍が上陸し「サイパン島の戦い」が行われた。日本軍は7月に総攻撃を行い全滅した。島の北部へ逃げた民間人を含む約1万名が崖から身を投げて自決したことは、現在も「バンザイクリフ」や「スーサイドクリフ」等の名称として記憶されている。戦後、戦跡を隠しリゾート開発を進めたグアムに対して、サイパンでは慰霊巡拝が重要な観光資源となった。ジーゴ地区以外に殆ど慰霊碑等がないグアムと異なり、サイパンには複数の戦跡が残され、各所に慰霊碑が建立されている。特にサイパン島北部のマッピィ周辺には多く慰霊碑が並び、その中には観音像など仏像も見られる。

1974年には、日本政府によってマッピィ山の麓に《中部太平洋戦没者の碑》が建立された。政府の慰霊碑の裏側には、民間の慰霊巡拝者によって卒塔婆や墓石が置かれており、4体の観音像も確認された。またバンザイクリフには、42基の慰霊碑が建立され、その中には3体の観音像と2体の地蔵像が含まれている。スーサイドクリフには、6基の慰霊碑が建立され、その中でも特に目立つ大型の碑が1972年、南洋群島物故者慰霊のため建立された《慰霊像》である4444慰霊碑の数は2014年11月の調査に基づく。。《慰霊像》は、日本の委任統治領時代の住民によって発起され、アメリカ信託統治領政府の賛同を得、現地住民と日本の関係者の協力により建立された。《慰霊像》の形状は、花のように広がったコンクリート製の台座の上に、十字架の光背をもつ菩薩像が設置されている。現地の観光ガイドは、この像を「マリア観音」と紹介している4545チャモロ人の日本語ガイド、ジェイ・サントス氏からの聞き取り(2014年11月12日)。

数多くの慰霊碑が建立されているサイパン島において、仏像、特に観音像が死者を慰霊する像として求められていた。さらに《慰霊像》の事例からも、キリスト教と仏教のシンボルによって、「戦争犠牲者の慰霊」と「友好」を表現するという発想がサイパン島には存在していた。

平和寺祭壇、左側の像が《マリヤ観音》(2015年12月14日撮影)《慈母観音(マリア観音)》と脇侍(2014年11月13日撮影)
4.2 南溟堂の《慈母観音(マリア観音)》

リゾートホテルが並ぶガラパンを有する西側は、戦跡や彩帆島時代の遺構が残るが、慰霊碑の数は北部ほど多くない。ガラパン中心部から徒歩15分ほどにあるシュガーキングパークは、かつて香取神社境内の彩帆公園と呼ばれた公園であり、現地では「Japanese Park」として親しまれている。

1990年、シュガーキングパークの一番奥に「サイパン国際礼拝堂(The Saipan International House of Prayer)」、通称「南溟堂」が建立された。南溟堂の本尊は、《慈母観音(マリア観音)》と表記されている。つまり「慈母観音」であると同時に、「マリア観音」でもあるというイメージで作られた像である。

《慈母観音(マリア観音)》は、曹洞宗の海外布教師であった秋田新隆によって発願された。ハワイのヒロ大正寺で長く住職をつとめた秋田は、リゾート開発によって変貌したサイパンを見て「ここで多くの血が流されたことを知ってもらい、戦争を知らない世代に平和の尊さを知ってもらいたい」と感じていた。また、サイパンには多くの慰霊碑が建立されているが全ての慰霊碑が屋外にあるため、屋内で静かに死者を供養する場所が必要であると考えていた。

秋田はグアムの平和寺を参拝した際に、本尊として《マリヤ観音》を祀り、全ての戦争犠牲者を慰霊していることを知った。秋田と平和寺の関係者には全く面識がなかったが、《マリヤ観音》の造形や思想が素晴らしいものであると感じ、仏教徒だけでなく、全てのマリアナ連邦地域で戦死した日本兵、アメリカ兵、そして住民を含む民間人の冥福を祈る施設の本尊として「マリア観音」を建立するのが良いだろうという結論に至った。

「マリア観音」は、仏教を超えた存在であると同時に、母性的な像であることも重要であった。戦争経験者から、バンザイクリフやスーサイドクリフで自決した人々が、母の名前を叫び自決したという話を聞いた秋田は、亡くなった人々が母の胸に抱かれ癒されることを願って、南溟堂の本尊に《慈母観音(マリア観音)》を選んだ。

  • 中外日報採用情報
  • 中外日報購読のご案内
  • 時代を生きる 宗教を語る
  • 自費出版のご案内
  • 紙面保存版
  • エンディングへの備え― 新しい仏事 ―
  • 新規購読紹介キャンペーン
  • 中外日報お問い合わせ
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加