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宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
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第16回「涙骨賞」を募集 中外日報宗教文化講座
第15回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

葦津珍彦の思想について

―戦後における天皇論・神道論を中心に―

今西宏之氏
第二節 村上重良の「国家神道」論

村上は著書『国家神道』において、まず近代以前の神道と以後の神道とを比較し、「国家神道が目指したような、神仏分離による神道からの習俗的要素の完全な排除は、実現不可能であったのみでなく、歴史的に形成された神道そのものの自己否定にほかなかなかった」1111村上重良『国家神道』(岩波書店 1970年11月) P38と近代以降の「国家神道」はそれ以前の「神道」とはまったく違う存在、というよりもその否定によって生まれたとしている。そして村上は明治の初めから終戦、そして戦後の神社本庁の設立まで、「国家神道」がいかなる経緯を辿ってきたかを記述していく。

村上の『国家神道』を通読すると、特に「政教分離」と「国家権力対民衆宗教の構図」の二点に特に力を入れて記述しているように見受けられる。

「政教分離」に関しては、国家神道を頂点とした日本の体制を「擬似政教分離」と一刀両断し、その上に立つ「国家神道」と日本のあり方を「時代錯誤の宗教国家を支える宗教支配の体系」であると断じている1212同右 P133

「国家権力対民衆宗教の構図」に関しては大本や天理教、ほんみちといった、いわゆる教派神道や新宗教を「習合神道の伝統は、教派神道のなかでうけつがれ、国家神道とは異質の日本の国土に根ざした宗教的伝統を展開していたのである」1313同右 P125といった文言に見られるように国家神道体制の被害者、乃至は抵抗者として概して好意的に記している。また幕末の「ええじゃないか」を評した文章では「伊勢の神はすでに民衆の現世利益アマテラスオオミカミではなく、国家神道の最高神アマテラシマススメオオミカミに変貌していたのである」1414同右 p84としている。ここには「国家権力と民衆」を対峙させる著者の思想が明確に現れている。

以上、村上の『国家神道』での重要なポイントと思われる部分をいくつか列挙したが、さすがに数十年も前の書籍だけあって、問題意識が古いことは否めない。一例を挙げれば、大本教や天理教、ほんみちといった民衆宗教に対する過度な評価である。オウム真理教事件以来、市井の単なる新興宗教が恐るべきテロを実行する事例を我々は知ってしまっている。世界的にも9・11のテロ以来、過激派イスラム勢力によるテロが相次いでいる。このような現状を見れば、「国家が弾圧をする側で、民間宗教は弾圧をされる側である」というような単純な二元論はもはや崩壊してしまっていると見たほうがいいであろう。

また、研究者の側でも村上説に対する異論・反論は多い、いくつか例を挙げると、昆野は村上の「国家神道」論の変遷を読み解き、島薗進らの宗教社会学研究の進展や、葦津の「国家神道」論批判についても有効な応答がなく、「自らの学説の抱える問題点の克服に取り組んだ形跡は見られない」と批判を加えている1515昆野伸幸「村上重良「国家神道」論再考」『戦後史のなかの「国家神道」』(山川出版社 2018年10月)。寺田善朗は戦前の宗教行政・宗教統制の研究が積み重ねられた今、村上の「国家神道」説はそのままでは通用しないと述べている1616寺田善朗「新宗教研究と「国家神道」」『戦後史のなかの「国家神道」』(山川出版社 2018年10月)。村上の「国家神道」論は現代においてはそのまま通用するというわけではないことは明らかである。

では村上の「国家神道」論とは何であったか。総括するならば、「戦前日本において絶大な力を発揮したイデオロギーであり、それが生みだした前近代的な擬似政教分離制度は、日本を悪しき戦争に引きずりこんだ元凶である」ということになろう。では「神道の弁護人」を自認していた葦津はこの村上説にどのように対峙したのであろうか。

第三節 葦津珍彦の「国家神道」論

1987年に神社新報社より出版された『国家神道とは何だったのか』(2006年に新版が刊行される)は葦津の神道論のひとつの到達点と言いえる書である。まず葦津は論のはじめにGHQの神道政策に触れた後に、「かれらは神道について、奇怪なまぼろしのイメージを作り上げて、それを前提にして、神道的日本国民に重圧をかけた。しかもこの占領軍権力の御用をつとめる御用日本文化人が神道の歴史を知らないで、日本人の精神史をゆがめることに、「背後の虎の威」を借りて横行した」と痛烈な文言を記している1717葦津珍彦『新版 国家神道とは何だったのか』(神社新報社 2006年7月 )P8。この「御用文化人」なるものが村上重良を指している事は言うまでもない。葦津の「神道人」としての気迫を感じさせる。

そして葦津は明治国家が成立してすぐに、玉松操などの神道家が政府から疎まれ、中枢から排除されていく過程を記す。神道勢力はごく初期から、明治新政府の傍流に位置づけられていたという事実を丹念に立証していく。

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