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宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
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第16回「涙骨賞」を募集 中外日報宗教文化講座
第15回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

葦津珍彦の思想について

―戦後における天皇論・神道論を中心に―

今西宏之氏
第三章 葦津の思想と「平成流」象徴天皇論
第一節 葦津は何を目指したのか

これまで葦津珍彦という神道思想家が戦後どのようなロジックを用いて天皇制、あるいは神道を護ってきたのかを僅かだが示した。葦津の文章を読んでいて感じる事は、ロジカルで、史料も豊富に引用し、その理論は非常にプラグマティックであるということである。評論家・思想史家の松本健一は葦津を「戦後最大の右翼理論家であった」としつつも、その論理は「あまりにも戦後民主主義に影響された論理ではないか」と疑問を呈している2424松本健一『右翼・ナショナリズム伝説』河出書房新社 (1995年9月)

確かに、葦津の論理は戦前に復古しようとするいわゆる右翼的言説とは無縁である。では葦津は一体、戦後社会において、どのような天皇、もしくは神道のありかたを理想としていたのであろうか。

それを考えるためにもまず、ここで少し脇道にそれるが、明仁天皇、いわゆる「平成流」天皇の在り方について考察していきたい。冨永望は主に宮内庁のデータを駆使し、明仁天皇がどのような人物とどれくらいの頻度で内奏・進講を受けているかを割りだし、昭和天皇のそれとの比較検討を試みている。冨永によると、明仁天皇は昭和天皇同様、自身が関心を持つ内容に関しては、閣僚や関係者に説明を求めるという行動様式は一致している。しかしその興味関心の中身には違いがあり、昭和天皇が安全保障問題に関心を示していたのに対して、明仁天皇は特に災害に対して強い関心を持っているという。そして富永は頻繁に内奏を受ける明仁天皇は「昭和天皇が新旧両憲法下で不変に保持していた君主としての意識は、明仁天皇にも引き継がれていると見て間違いない。明仁天皇は即位したときから「象徴」であった初めての天皇ではあるが、「君主」という自己規定はぶれていないのである」2525富永望「柔らかな「統合」の形」『平成の天皇制とは何か』(岩波書店2017年7月)と結論付けている。

山口輝臣は「平成流」天皇のあり方を考察した上で、「反天皇と護憲はいかにして両立するのか?むしろ親天皇こそ護憲との整合性が高いのではあるまいか?」と問題提起をしている2626山口輝臣「宮中祭祀と「平成流」」『平成の天皇制とは何か』(岩波書店2017年7月)。また、政治学者の君塚直隆は世界各国の王室の歴史を比較検討した上で、戦後の象徴天皇制のあり方はイギリスの君主のあり方に近いのではないかと述べている2727君塚直隆『立憲君主制の現在―日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮社 2018年2月)。いずれにしても「平成流」象徴天皇制にはおおむね好意的である。

そしてこの現在の「平成流」象徴天皇制のあり方は、葦津が秘かにつくりあげようとしたものなのではないか。内奏や進講を頻繁に活用し、有為な知見と知識を確保しようと努める明仁天皇は論文「国民統合の象徴」で葦津が示した君主のあり方とほぼ重なる。明仁天皇自身が葦津の論から直接影響を受けたということはまず考えられないが、葦津の天皇論と「平成流」象徴天皇制の符合は無視することは出来ない。

では葦津の目指していた天皇、あるいは日本の姿とは何か。葦津は敗戦によって危機的状態に陥った天皇制と神道を、何とかして生き延びさせようとした。そして、葦津が選択した方法は、日本国憲法を始めとする戦後民主主義のあり方にはあくまで反対しつつも、その「戦後民主主義」に天皇と神道を適合させ、それに沿って論理を構築していくというものであった。一言で言えば天皇と神道の「近代化」を目指していたのではないだろうか。

かつて作家の三島由紀夫は橋川文三との討論で、天皇制の本質を「フレキシビリティにある」と表現していたが2828三島由紀夫『文化防衛論』(筑摩書房 2006年11月)、まさにフレキシブルに天皇は「戦後」に適応した。葦津はそのロジックをもって天皇をフレキシブルに戦後に適応させようと努力したのである。

第二節 現在の神道界と葦津の思想

しかし一方で、葦津の論がどこまで神道界で根付いているかは、かなり疑問である。その顕著な例は1978年に行われた靖国神社へのA級戦犯の合祀である。葦津が中心メンバーを務めた靖国神社の国家護持を目指す「祭祀制度調査会」はあくまでA級戦犯の合祀には反対していた。しかし、当時靖国神社の宮司を務めていた松平永芳がいきなりの「抜き打ち合祀」を行う。日本を敗戦に導いた責任があるという観点からも葦津はあくまでA級戦犯の合祀には反対し続けた。しかし葦津の反対論は無視され、葦津の弟子にあたる阪本も「先生のおっしゃる通りだ。でももう過去の人」として「戦犯は犯罪者ではない」との見解を発表している2929靖国 「戦後」からどこへ3 神道史大御所の論文 「A級合祀」に疑義 毎日新聞東京版朝刊 2006年8月8日付

又先日、興味深い事件が発生した。靖国神社の宮司を務める小堀邦夫が会議にて「はっきり言えば、今上天皇は靖国神社を潰そうとしている」「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど、靖国神社は遠ざかっていく」といった発言を行い、天皇批判を行ったというのである。結局小堀宮司は退任したが3030朝日新聞デジタル10月10日付記事 https://www.asahi.com/articles/ASLBB5WDVLBBUTIL042.html、ここからは「皇室」と「神社界」の深刻なディスコミュニケーションが見て取れる。島園は「皇室」と「神社界」を「国家神道」の構成要素としていたが、両者はむしろ深刻な対立状態にあるとすら言えるのではないか。

天皇が靖国神社を参拝すべきか否か。その是非はともかく、ここまで神道界が思想的にも、組織的にも混乱している原因は、そもそも神道には立ち返るべき教義教典が存在しないということ以上に、戦後の神道界が、思想的強度を喪失してきたからではないだろうか。葦津の靖国神社でのA級戦犯合祀への反対論に対しても、神道人や学者が正面から受け止めた形跡はほとんど見られない。また神社本庁そのものが内部で深刻な対立を抱えているという報告もあり3131藤生 明『徹底検証 神社本庁』(筑摩書房 2018年5月)、もはや統一した見解というものは望み得ない状態なのかもしれない。

結局どこまで行っても葦津の天皇論・神道論は「葦津個人のもの」であり、神道界全体の見解とはなりえなかったのである。

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