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第15回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

葦津珍彦の思想について

―戦後における天皇論・神道論を中心に―

今西宏之氏
むすび

本稿では、葦津の思想を主に戦後の天皇論・神道論に絞って考察した。その論理は非常にロジカルで、「戦後」という時代にも適合するような「リベラル」なものであった。しかし、葦津の天皇論は、日本人全体が天皇に対して強い支持乃至は敬愛の念を持つことを前提としている。現代の日本人は、はしがきの部分でも触れたように、大多数は天皇に対して良い印象を持っているようである。それは「平成流」象徴天皇制に対する支持とも言い換えることができるであろう。しかし、「平成流」は明仁天皇と皇后美智子による常人には為し得ない営為のたまものである。今回の生前退位もこの「平成流」に明仁天皇が心身ともに耐えられなくなったことから発しており、次代の天皇とその皇后に果たしてこの過酷な「平成流」を押し付けてよいのか、そもそも実現可能なのか、という疑問は当然抱かざるを得ない。そして仮に現在の「平成流」象徴天皇制が未来において変容した場合、日本人はそれをどのように受け止めるのか、果たして葦津の前提としたような「天皇に対する熱烈な支持」を維持していけるのであろうか。

また、神道論に関しても謎が残されている。それは、戦後、神社本庁を作る際に、葦津が柳田国男や折口信夫の神道論を排斥したという事実についてである。葦津はその理由として「日本を占領し制圧した敵軍権力は、日本の、国民意識の根底にある皇室神道を抑圧して、国民の精神的統合を抹殺しようとした。その目的を達するためには、かれらの民俗学的な地方分散的な古神道知識を利用し、日本人の皇室神道による国民意識を解体することをもっとも有利とした(中略)これらの民俗的神道研究者は、明らかに「その政府への協力を辞せぬ」との態度を表明した。私は、かれらの神道的主張は「日本国民感情に反する」として、その思想影響を妨げるにつとめた」3232葦津珍彦『昭和史を生きてー神国の民の心』(葦津事務所 2007年1月)P124と柳田・折口ら民俗学者がGHQの神道政策に協力的であったことを第一にあげている。いわば「政治的理由」であるが、一方で葦津は「かれらが博学知識をもって説くように、古神道が必ずしも皇室神道一本ではなくして、多様多彩な、あらゆる要素をもつ原始宗教であって、地方分散的な宗教であったということが事実だとしても、二十世紀の日本の神道が、原始のままの情況に戻ることに、なんの今日的意義があるのか」3333同右 P125と柳田・折口らが説く民俗学的神道論には根本的な違和感を表明している。葦津にとっての神道は、あくまでも天皇の存在を前提としたものでなければならなかった。柳田や折口の民俗学的な神道論は学問としては尊重しつつも、それは葦津には受け入れられないものであったのである。

しかし、占領期の神道政策がいかにして形作られていったのかは未だに謎が多い。葦津が主導して柳田・折口を戦後の神道行政から外したことは事実だとしても、GHQと具体的にどのようなやり取りをしたのか。また、そもそも葦津は神社本庁という組織をGHQから神道を守るための一時的ないわば「避難所」としか考えていなかったのではないか、など解明すべき点は大量に存在している。

ちなみに葦津は、鶴見との対談でGHQのウィリアム・バンス(いわゆる「神道指令」を発した中心人物)を初めとした宗教課の人間との会談の記録を全て保管していると発言している3434「尊皇攘夷とは」『鶴見俊輔対談 近代とは何だろうか』所収(晶文社 1996年4月)。現在でもこの会談記録が保管されているかは分からないが、葦津の神道論だけでなく、神社本庁の成り立ちや、戦後日本の宗教のあり方を考える意味でも、この会談記録は非常に重要である。現存するならば早急な公開を望みたい。

天皇と神道は日本固有のいわばローカルな存在である。このローカルな存在を日本人全体がどのようにして捉え、未来に向けて作り直していくのか。この問題はグローバリズムの波が押し寄せる現代において、避けては通れない。そしてこの問題は、我々「日本人」が、自分たちをどのように自己規定し、世界で生きていくのか、という課題と繋がっている。その問いを考えるためにも、葦津珍彦という人物の思想を、ただ単に戦後の特異な右派・民族派思想家として捉えるのではなく、「戦後」を形作った重要な人物として広く様々な人々が考察していく必要があるのではないだろうか。本稿がそのための切欠の一つになれば幸いである。

なお葦津は「運動家」として津の地鎮祭訴訟案件、「建国記念の日」制定問題、天皇即位における様々な祭祀・儀式のあり方に関する運動など、多様な活動を行った。そのような場で「戦略的に」行われた言説が果してどのようなものだったのか。それらは本稿で検討したような学術的な論稿とどこが一致し、あるいは一致しないのか。この点の考察も今後の課題である。さらに葦津は戦前には共産主義・無政府主義から転向したわけだが、「左翼からの転向」は葦津のみならず日本近代思想史における重大問題である。戦前の葦津の文章はほとんど一般公開されているものはなく、参照することが難しいが、単なる「神道思想家」だけではない、多様な葦津珍彦の像を探求していきたい。それらはこれからの課題として、ひとまず筆をおくことにする。

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