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第16回涙骨賞〈選考委員選評〉
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第16回「涙骨賞」受賞論文 本賞
たかはし・しゅうけい氏=1984年生まれ。一橋大大学院言語社会研究科修士課程修了、現在、大正大大学院文学研究科宗教学専攻博士後期課程在籍。専門は宗教学、宗教社会史。論文に「『勤王僧』の顕彰と地域社会―福井県三国地域を事例として―」(『宗教と社会』〈25〉)など。

近代日本における「明治維新」と仏教

―「勤王僧」月性の贈位をめぐって―

髙橋秀慧氏

1 はじめに

(1)近代日本にとっての「明治維新」

「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とは、明治新政府の施政方針として、天皇が神々に誓う形で示された五箇条の誓文の一条である。自由民権の運動家たちは、この“施政方針”の実現が未だ不十分であるとして、早期の議会開設や憲法制定等を主張し、政府と対峙した。その際、幕末期に活躍した志士たちを、小説や講談などの題材に取り入れ、仮託する形で政治的主張をした11大久保利謙1988『日本近代史学の成立』吉川弘文館、宮沢誠一2005『明治維新の再創造―近代日本の「起源神話」』青木書店。。一方政府も、「明治維新」を近代日本の「始原」として、修史事業を通じて王政復古とそれを支えた薩長藩閥の歴史的「正当(統)化」を企図した22田中彰1987『明治維新観の研究』北海道大学出版会。。また、幕末の志士たちの運動を王政復古に資する「功績」として評価し、没後の「論功行賞」33維新史料編纂会事務局編1941『維新史』維新史料編纂事務局、pp.414-427。として、祭祀(祭神化)や贈位を通じて慰霊・顕彰の枠組みを整備し、近代天皇制の下に包摂した44羽賀祥二1994『明治維新と宗教』筑摩書房、髙田祐介2012「明治維新「志士」像の形成と歴史意識―明治二五・二六年靖国合祀・贈位・叙位遺漏者問題をめぐって―」『歴史学部論集』(2)、pp.43-70、石川寛2015「近代贈位に関する基礎的研究」『年報近現代史研究』(7)、pp.1-21。

近代日本において「明治維新」は、国家や政党のみならず、ジャーナリストや旧大名家、旧幕臣、アカデミズムや顕彰を担った地域社会の人々など、各々がよって立つ主義主張や歴史観と深く関連しながら、多様な解釈がなされてきた。また並行して、幾度かあった「幕末ブーム」の中で、新選組や西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬などが、小説や芝居の中の魅力的な英雄として描かれ、特段の立場性を持たない国民にも広くその像が浸透していった。そして明治維新は「大正維新」や「昭和維新」などの文言にあらわれるように、戦前の日本において折に触れ回想され、新たな社会変革を試みる人々のスローガンともされた55前掲註1宮沢書。

(2)明治維新観と近代の仏教

このような戦前日本における明治維新に対する多様な歴史認識を、近代史家の田中彰は総じて「明治維新観」66前掲註2田中書。と名付け、その精緻な腑分けを行ったが、近代の宗教家における明治維新観には触れられていない。しかしながら、明治維新観の問題は近代における宗教、とりわけ仏教観とも密接に関係している。例えば、先の五箇条の誓文には、「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ」という一条があり、近世の仏教をこうした「陋習」の一部として旧く衰微したものとみなす歴史観や、維新期の廃仏毀釈を近世仏教に対する“法難”そして“覚醒の契機”と捉える歴史観は、いずれも近代日本における国史学研究77上野大輔2018「近世仏教衰微史観」大谷栄一・菊地暁・永岡崇編『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会、pp.273-279。や仏教系知識人の言説88オリオンクラウタウ2011『近代日本思想としての仏教史学』法蔵館。の中から生み出されてきたもので、特に後者は明治期における仏教改革運動の理念とも深くかかわっている99中西直樹2018『新仏教とは何であったか』法蔵館。

そして本論で取り上げる僧月性は、近代において消極的な評価が付された近世仏教にあって見るべき存在、「勤王僧」として、その像が結ばれていった代表的な僧侶の一人である。近代日本において、「勤王僧」は幕末期の王政復古に活躍した先覚者であり、「慷慨」の気質を持った特異な僧侶の総称として創出された。「復古に貢献した先覚者」という一見矛盾する枠組みは、伝統と革新をまとった近代天皇制のイデオロギーをもって国民を教化しようとする国家の方針に沿った人物像といえる。

幕末の僧たちを「勤王僧」として顕彰する動きは、未だその全容を掴み得ないが、筆者は帝国憲法発布及び教育勅語渙発前後に集中して実施された、国家による維新功労者への贈位が、幕末以降、小規模になされていた年忌法要などの追弔をイデオロギー的な意味で回収し、在地のステークホルダーによる「顕彰運動」として展開していく端緒になったと推察している1010勤王志士の顕彰と地域社会の問題を扱った研究としては、長南伸治2009「清河八郎の顕彰―贈位決定までの過程を中心に―」『明治維新史研究』6、pp.22-35、岩立将史「赤報隊関係者の贈位請願運動―その請願・決定過程を中心に―」『信濃』65(11)、pp.969-986などがあり、勤王僧の顕彰も類似の枠組みを持っていたと考えられるが、ステークホルダーに在地の寺院や仏教教団がいることを踏まえると、問題は地域社会だけに収斂されない。。そして地方改良運動以降、郷土史研究や学校教育、社会教育を通じて国民教化が強く推進され1111高木博志2005「「郷土愛」と「愛国心」をつなぐもの―近代における「旧藩」の顕彰―」『歴史評論』659、pp2-18。、勤王僧も郷土の偉人の一人として、その人物像が定着していったと考えられる1212拙稿2019a「「勤王僧」の顕彰と地域社会―福井県三国地域を事例として―」『宗教と社会』25、pp.1-15、同2019b「「勤王僧」の贈位と顕彰」『宗教研究』92(4)、pp. 297-299。。そして、昭和10年代には、仏教もまた国家や天皇との関係を強く意味付けしていく風潮の中にあり、多くの僧が勤王僧として「認定」され、果ては戦意昂揚にその存在が利用された。戦後の研究史において勤王僧は、この戦時利用のインパクトが残影として残ったためか、研究対象として正面から扱われることは少なく、幕末から一足飛びに昭和の戦争における仏教者の戦争協力や「皇国史観」と結びつけられ、「皇道仏教」なるものの構成要素の一部として認識されるに止まってきた1313拙稿2018「「勤王僧」再考―戦前における研究状況を中心に―」『大正大学大学院研究論集』(42)、pp.138-118、大谷栄一2019「「皇道仏教」の形成」『戦争社会学研究』3、pp.34-41。。近時、近代仏教研究の盛り上がりと相まって、幕末期の宗教史に対する関心が徐々に高まりつつあり、護法運動の一環で志士的活動を行った僧(いわゆる「勤王僧」)を対象とした歴史研究、思想史研究が活発化してきている1414岩田真美・桐原健真2018『カミとホトケの幕末維新』法蔵館、上田純子・公益財団法人僧月性顕彰会編2018『幕末維新のリアル』吉川弘文館、小林健太2017「本願寺と「勤王僧」―月性の京都における活動を中心に―」『本願寺史料研究所報』53、pp.1-18、森和也2018『神道・儒教・仏教』筑摩書房など。。一方で、明治維新以降昭和初期までの間、勤王僧像がどのように形成されていったのかについては、全く等閑視されている。

しかしながら、勤王僧像の形成過程とは、突き詰めれば、勤王僧の顕彰を担った人々(仏教関係者や地域社会)が、勤王僧を媒介として近代日本国家や近代天皇制と自己との関係を認識し、記憶していく過程であり、こうした過程を実証的に明らかにすることは、近代の仏教を国家やナショナリズムとの関係から考察する上で極めて重要な意義を持つものであると筆者は考える。そして、近年活発な議論が交わされている「国家神道」研究との接続1515一例を挙げると、前掲註12の拙稿2019a及び2019bにおいて、畔上直樹2009『「村の鎮守」と戦前日本―「国家神道」の地域社会史―』の成果を踏まえ、同書で指摘された地域社会、在地神職が下支えする、「下からの」ナショナリズムの問題について、在地の仏教寺院や僧侶が主体となる場合について指摘した。を意識しつつ、近代日本宗教史の見取り図に、仏教をいかに位置づけていくのかという課題1616林淳2005「近代仏教と国家神道」『禅研究所紀要』(34)、pp. 85-103、大谷栄一2018「仏教が(日本の)寺院から出て行く 近代仏教研究の射程」『現代思想』46(16)、pp.59-72など、近代仏教の研究史を振り返る過程で度々課題として指摘されてきた。にも寄与するだろう。

そこで本論では、こうした問題意識を踏まえた一試論として、幕末に「海防僧」と呼ばれ、説法や著述を通じて護法思想に基づく尊王・攘夷運動を行った周防の僧月性について、1890(明治23)年の三十三回忌法要前後の時期に注目し、彼が所属した本願寺派教団や郷里である防長出身の僧侶たちにおける明治維新観の問題と関連付けながら、勤王僧像の形成とその歴史的意義を考察する。

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