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第16回涙骨賞〈選考委員選評〉
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第16回「涙骨賞」受賞論文 本賞

近代日本における「明治維新」と仏教

―「勤王僧」月性の贈位をめぐって―

髙橋秀慧氏

  1. 大久保利謙1988『日本近代史学の成立』吉川弘文館、宮沢誠一2005『明治維新の再創造―近代日本の「起源神話」』青木書店。
  2. 田中彰1987『明治維新観の研究』北海道大学出版会。
  3. 維新史料編纂会事務局編1941『維新史』維新史料編纂事務局、pp.414-427。
  4. 羽賀祥二1994『明治維新と宗教』筑摩書房、髙田祐介2012「明治維新「志士」像の形成と歴史意識―明治二五・二六年靖国合祀・贈位・叙位遺漏者問題をめぐって―」『歴史学部論集』(2)、pp.43-70、石川寛2015「近代贈位に関する基礎的研究」『年報近現代史研究』(7)、pp.1-21。
  5. 前掲註1宮沢書。
  6. 前掲註2田中書。
  7. 上野大輔2018「近世仏教衰微史観」大谷栄一・菊地暁・永岡崇編『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会、pp.273-279。
  8. オリオンクラウタウ2011『近代日本思想としての仏教史学』法蔵館。
  9. 中西直樹2018『新仏教とは何であったか』法蔵館。
  10. 勤王志士の顕彰と地域社会の問題を扱った研究としては、長南伸治2009「清河八郎の顕彰―贈位決定までの過程を中心に―」『明治維新史研究』6、pp.22-35、岩立将史「赤報隊関係者の贈位請願運動―その請願・決定過程を中心に―」『信濃』65(11)、pp.969-986などがあり、勤王僧の顕彰も類似の枠組みを持っていたと考えられるが、ステークホルダーに在地の寺院や仏教教団がいることを踏まえると、問題は地域社会だけに収斂されない。
  11. 高木博志2005「「郷土愛」と「愛国心」をつなぐもの―近代における「旧藩」の顕彰―」『歴史評論』659、pp2-18。
  12. 拙稿2019a「「勤王僧」の顕彰と地域社会―福井県三国地域を事例として―」『宗教と社会』25、pp.1-15、同2019b「「勤王僧」の贈位と顕彰」『宗教研究』92(4)、pp. 297-299。
  13. 拙稿2018「「勤王僧」再考―戦前における研究状況を中心に―」『大正大学大学院研究論集』(42)、pp.138-118、大谷栄一2019「「皇道仏教」の形成」『戦争社会学研究』3、pp.34-41。
  14. 岩田真美・桐原健真2018『カミとホトケの幕末維新』法蔵館、上田純子・公益財団法人僧月性顕彰会編2018『幕末維新のリアル』吉川弘文館、小林健太2017「本願寺と「勤王僧」―月性の京都における活動を中心に―」『本願寺史料研究所報』53、pp.1-18、森和也2018『神道・儒教・仏教』筑摩書房など。
  15. 一例を挙げると、前掲註12の拙稿2019a及び2019bにおいて、畔上直樹2009『「村の鎮守」と戦前日本―「国家神道」の地域社会史―』の成果を踏まえ、同書で指摘された地域社会、在地神職が下支えする、「下からの」ナショナリズムの問題について、在地の仏教寺院や僧侶が主体となる場合について指摘した。
  16. 林淳2005「近代仏教と国家神道」『禅研究所紀要』(34)、pp. 85-103、大谷栄一2018「仏教が(日本の)寺院から出て行く 近代仏教研究の射程」『現代思想』46(16)、pp.59-72など、近代仏教の研究史を振り返る過程で度々課題として指摘されてきた。
  17. 海原徹2005『月性 人間到る処青山有り』ミネルヴァ書房。
  18. 立泉昭雄「贈正四位月性上人年譜」三坂圭治編1979『維新の先覚 月性の研究』月性顕彰会、p.37。
  19. 月性の生涯については、前掲註17海原書、三坂圭治編1979『維新の先覚 月性の研究』月性顕彰会、上田純子2016「儒学と真宗説法―僧月性と幕末の公論空間」塩出浩之編『公論と交際の東アジア近代』東京大学出版会、pp.53-78、岩田真美2018「幕末護法論と儒学ネットワーク」岩田真美、桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』法蔵館、pp.139-161を参照。
  20. 岩田真美2011「幕末期西本願寺と『仏法護国論』をめぐって―月性「護法意見封事」との相違について」『仏教史学研究』53(2)、pp.41-61。
  21. 蔵本朋依2001「松下村塾の出版活動」『国語国文』70(12)、pp.31-49。
  22. 末松謙澄1921『防長回天史』第6篇下、p.368。以下史料の引用に際し、句読点及び下線は筆者加筆、片仮名は平仮名に改め、旧仮名遣い及び旧字体は現代仮名遣い及び新字体に改めた。
  23. 有栖川宮熾仁親王の墓参について、年譜では明治24年5月とされているが、『熾仁親王日記』によれば、明治24年5月は、京都にあって大津事件の対応に尽力しており、山口を訪問したとの記述はない。一方で前年の6月に、熾仁親王は対馬と山口の巡閲を命ぜられ、山口では、軍司令部の訪問や、吉田松陰の老母に面会したほか、萩や山口で寺社仏閣や史蹟の観光も行っている。6月27日には月性の郷里に近い柳井の醤油商佐川仲三郎宅に宿泊し、翌28日午前8時に柳井を出発、由宇村(現岩国市)で休憩を取って、午後1時には岩国へ到着している記事が見られる。月性墓参については日記の記述上は確認できなかったが、本論史料3の記事から、熾仁親王が28日に月性の墓参をしたことが確定でき、年譜の記述は誤記である。なお、伊藤博文については、自筆書名と「辛卯」が記載された書が清狂草堂に奉納されており、同地内の月性展示館(https://www.city-yanai.jp/site/kanko-shisetsu/gesshotenjikan.html)で今も見ることができる。
  24. 『東京朝日新聞』(朝刊)(明治23年7月13日)。
  25. 『令知会雑誌』は、中西直樹・近藤俊太郎監修2017『令知会雑誌』復刻版全7巻、不二出版を参照。以下同様。

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