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近代日本における「明治維新」と仏教

―「勤王僧」月性の贈位をめぐって―

髙橋秀慧氏

  1. 『読売新聞』(朝刊)(明治23年8月16日)。
  2. 前掲註4の諸論稿。
  3. 国立公文書館所蔵『公文類聚』[請求番号]類00583100[件名番号]026。
  4. 前掲註12拙稿2019aでは、福井の勤王僧道雅の贈位請願運動を考察したが、贈位請願に際し、月性、月照とともに「勤王僧三傑」であるとする主張が見られた。
  5. 大洲鉄然<1834(天保5)年-1902(明治35)年>は、周防大島(現在の山口県周防大島町)の本願寺派覚法寺に生まれた。時習館で月性の薫陶をうけた後、1863(文久3)年に西本願寺で勧学であった護法僧南渓に師事する。その後帰郷して、月性の同門、世良修蔵が軍監を務めた第二奇兵隊(南奇兵隊)に参加する。第二次長州征伐では金剛隊を率いて幕府軍と戦った。維新後は島地黙雷等と本山改革や大教院分離運動に参画する一方で、真宗が禁教とされていた鹿児島への布教なども行い、西本願寺の執行まで出世した。没後には鉄然自身も贈位を受け、「勤王僧」として顕彰されることとなった。
  6. 島地黙雷<1838(天保9)年―1911(明治44)年>は、周防国佐波郡和田村(現在の山口県周南市)の本願寺派末専照寺に生まれた。大洲鉄然の宗風改正運動に参加。1868(明治元)年に防長末寺総代の一人として、本山改革の建言を行う。1872(明治5)年赤松連城らと留学僧として渡欧し、渡欧中に三条教則批判建白書を提出した。帰国後は政府の神道国教化政策に反対の立場から政教分離と信教の自由を主張し、大教院分離運動を牽引した。その後宗門の要職に任じられるが、異端の疑いをかけられ、寺務所移転問題でも宗主と争うなど、宗派内の内部抗争の当事者となって一時要職を離れる。その後は再び執行長となり、宗門の要職を歴任した。白蓮社・令知会・政教社など多くの仏教結社結成に関わったことでも知られる。

  7. 安丸良夫1979『神々の明治維新』岩波書店、山口輝臣2013『島地黙雷―「政教分離」をもたらした僧侶』山川出版社。
  8. 本願寺史料研究所編『増補改訂本願寺史』第三巻、pp136-137。
  9. 三谷博2018「幕末維新の、ここが面白い」上田純子、公益財団法人僧月性顕彰会編2018『幕末維新のリアル』吉川弘文館、pp.30-31。
  10. 前掲註19、岩田2018。
  11. 中川洋子2017「『令知会雑誌』に見る明治仏教史」中西直樹・近藤俊太郎編2017『令知会と明治仏教』不二出版、pp.41-88。
  12. 近藤俊太郎2017「『令知会雑誌』とその課題」中西直樹・近藤俊太郎編2017『令知会と明治仏教』不二出版、pp.9-40。
  13. 『明如上人』1927本派本願寺。
  14. 宮間純一2015『戊辰内乱期の社会―佐幕と勤王のあいだ―』思文閣出版、坂田聡・吉岡拓2014『民衆と天皇』高志書院。なお、筆者が主に参照したのは吉岡氏が執筆した近世・近代パート(本書5章~9章)である。
  15. 髙山嘉明2016「幕末期西本願寺の「勤王」志向」『龍谷史壇』(143)、pp.1-28。髙山氏は、従来参照されてきた『真宗史料集成』所収(明如上人伝底本)の直諭(直命)ではなく、「文久三年尊王攘夷之儀ニ付御直命」(龍谷大学大宮図書館所蔵)という史料を用いてこの点を実証的に論じている。
  16. 『真宗史料集成』(DVD版)6、方丈堂出版、p.239。
  17. 前掲註14小林2017。
  18. 『読売新聞』(附録)(明治25年2月17日)。
  19. 内田伸1982「長州藩の異端児―赤根(ママ)武人」『歴史読本』(26-5)新人物往来社、pp.124-125。
  20. 田中彰1980『明治維新の勝者と敗者』NHKブックス。赤禰武人の贈位請願が認められなかった背景には、山県有朋の存在があったとされ、現存する『奇兵隊日記』の欠落部分には赤禰武人の功績が記されていたともいわれる。山県没後も請願は続けられるが、結局贈位が実現されることはなかった。
  21. 大元玄一1944『勤王僧大洲鉄然』久賀町翼賛壮年団、p.57。
  22. 児玉識1976『近世真宗の展開過程』吉川弘文館、pp.289-292。
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