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キリストを着る

―原始キリスト教の洗礼における衣服・ジェンダー・権力―

大川大地氏

2. 古代地中海世界における衣服とジェンダー・権力

米国オクシデンタル・カレッジのK・アプソン=サイアの著作『初期キリスト教徒の衣服――ジェンダー・徳・権力』(2011年)は、ジェンダー論の成果をふんだんに採用しつつ、キリスト教史研究においては一般に取り上げる必要がないと思われてきた衣服(ファッション)に着目し、それがいかに古代のキリスト教徒たちのアイデンティティ、権威、そしてジェンダーに結びついているかを示した、画期的な意欲作である3131K. Upson-Saia, Early Christian Dress: Gender, Virtue, Authority (NY/London: Routledge, 2011). なお、足立広明「初期ビザンツの男装女性聖人――揺れるジェンダー規範」(服藤早苗・新實五穂〔編〕『歴史の中の異性装』〔アジア遊学210〕、勉誠出版、2017年、187-209頁)、196-200頁に本書の内容が簡単に紹介されている。。彼女の直接的な関心は、紀元3-4世紀におけるキリスト教の禁欲主義者の女性たちの男装(男性修道士のふりをする)や極端に質素な服装を考察することにあり、本稿とは関心や対象とする年代が異なる。しかし、彼女はその著作の1章「帝政時代初期におけるローマ人エリート層女性の衣服」3232Upson-Saia, Early Christian Dress, 15-32.において、紀元1世紀のローマをも扱っており、私たちの関心にとって有意義である。

アプソン=サイアの主張は、古代地中海世界において「衣服が、アイデンティティと権力の交渉における競合的シンボル(a contested symbol)として機能した」3333Upson-Saia, Early Christian Dress, 3.という一言に要約できる。洋の東西を問わず、古代世界では衣服の布地や装飾品は貴重品であり、衣服はそれを着る者の社会ステイタスを目に見えるかたちであらわす。この基本前提を理解するとき、私たちはたとえば、前述の『パウロとテクラの行伝』において、テクラがシリアの高官の「衣服を破った」ことがなぜ死刑に値するのかを理解することができるだろう。服装に対する侮辱は、それを着る者の社会ステイタスに対する侮辱と同義なのである。これは、一応は各人が自由に衣服を身にまとうことのできる現代社会にもある程度は妥当することであろう3434たとえば、筆者は「ワンランク上の男へ」との類の文言が表紙に書かれた男性向けファッション雑誌を幾度も目にしたことがある。ここで言われる「ランク」には男性の社会ステイタスという意味合いが当然含まれている。。アプソン=サイアの学問的貢献は、衣服を単に社会ステイタスのシンボルとするに留まらず、民族・身分・ジェンダーをめぐる複雑な権力構造が絡み合う舞台としてそれを把握しようと試みたところにある。このことを説明するために彼女が分析対象とするのが、たとえばペトロニウス(紀元20-60年頃)がネロ帝時代のローマを舞台に、「退廃した」エリート層女性たちの華美と贅沢三昧を描いた小説『サテュリコン』や詩人ユウェナーリス(60-127年頃)の風刺詩である。

これらの作品に描かれる女性の華美と道徳的退廃は、ネロ帝時代のローマのエリート女性の実像であったと言うよりは、作者を含めた男性たちの道徳観や女性蔑視の反映であろうことはすぐに予想できる。しかしながら、アプソン=サイアはここに、民族・身分・ジェンダーが幾重にも絡み合う複雑な権力構造を読み取ろうとする。彼女によれば、ペトロニウスやユウェナーリスは、「かつては謙虚であった女性たちが外国から輸入された奇抜な装飾品によって堕落し始めてしまった」と主張している3535Upson-Saia, Early Christian Dress, 23.。つまり彼らは、エリート層女性の服装の道徳的退廃を明らかに外国文化と結び付けている。道徳的に「退廃した」女性のほうが外国の「退廃文化」に染まりやすいというわけである。たとえば、ペトロニウスとユウェナーリスの以下の文章はそのことを示す。

何のため、インドで産する高価な真珠を求めるのか。海の勲章で飾られた妻が情欲を抑えきれず、見知らぬ男の閨で両足を高くあげるためなのか。何のため、緑のエメラルドを、高価なガラスを、何のため、火焔の輝きを放つカルタゴの宝石を欲するのか、……花嫁が肌の透けて見える絹をまとうことが、モスリンのかすみに包まれた裸体を人前にさらすことが正しいのか(ペトロニウス『サテュリコン』55)3636国原吉之助(訳)『サテュリコン――古代ローマの風刺小説』岩波書店、1991年、94-95頁。
女は自分に対してはどんなことでも許す。鮮緑色の宝石のネックレスを首に巻き付けても、梨ほどに大きい真珠のイアリングをぶらさげて耳を長く見せても、決して恥ずかしいとは思わないのだから。……密男のためには香り高い香油も手配する。すらりとしたインディア人のお前たちがこのローマへ輸出するものは、何でも彼女たちが買い求めているのだ(ユウェナーリス『風刺詩』第6歌)3737国原吉之助(訳)『ローマ諷刺詩集』岩波書店、2012年、176-177頁。

一方でエリート層女性たちの華美は外国よりもローマが豊かであることの目に見える指標であり、エリート層男性は女性の贅沢三昧を許してもなお生活を維持できる富裕者として描かれる。従って、アプソン=サイアは古代地中海世界における衣服と権力構造の関係を次のように結論づけるのである。

ローマ人男性の作者たちは、ローマ人エリート層女性たちの衣服と外見的容貌の中で、ローマと外国の違い、過去と現在の違い、そしてとりわけ男性と女性の違いを視覚化することによって、このような違いを明瞭にしようと試みたのである。……このような言説は外国と女性との関係において彼らの権力が脅かされることに対する男性の不安に基づいていた3838Upson-Saia, Early Christian Dress, 26.

以上のようなアプソン=サイアの知見から、私たちは、ガラテヤ書3章27-28節の洗礼定式において、おそらくは実際の衣服の着脱を背景に形成された「キリストを着る」という着衣メタファーが、「ギリシャ人もユダヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女はない」という発言に直接に続く意味を理解できるのではないだろうか。原始キリスト教において洗礼は、『使徒伝承』が示唆するように、教会のそばの泉や川で集団で受けるものであったのだろう。すなわち、そこで行われる衣服を脱ぐという行為は、民族・身分・性別の間の権力のシンボルを人前で――しかも、異なる民族・身分・性別を背景にもつ複数の人前で――脱ぎ捨てるという象徴的行為なのである(ガラテヤ書3章28節「あなた達はみな」)。洗礼とは、まさに「ドラマチックなジェスチャーによって強調されつつ」、社会的二分法の克服の模索を儀礼的に演出する宗教行為であったと考えることができる。受洗者たちはこの演出の中で、社会的な平等の実現を目に見えるかたちで体験したのである。

この儀礼的演出が受洗者たちに与えたであろう社会的インパクトは、たとえば同様に衣服の着脱を伴ったローマの公衆浴場での入浴と洗礼を対比させるとき明白になるであろう(ちなみに、ガラテヤ書の宛先をめぐって、学者たちの間には、それを南部のガラテヤ属州の諸教会とする意見と、北部のガラテヤ地方の諸教会とする意見があるが、その両者に公衆浴場の遺跡が発見されている)3939古代ローマの公衆浴場についての概説は、G. G. Fagan, Bathing in Public in the Roman World (Ann Arbor: The University of Michigan, 2002)を参照。。富裕層の男性・女性たちは複数人の奴隷を伴って公衆浴場へ赴いた(ユウェナーリス『風刺詩』第6歌を参照。「夜になってから風呂に入る。金盥など入浴道具を持った陣営〔すなわち、奴隷たちのこと〕に移動を命じるのは夜である」)。一般に奴隷たちはヴェスティビュールと呼ばれる玄関ホールで待機した。すなわち、奴隷たちはその主人とは一緒に入浴しなかったのである。これに対して、原始キリスト教の洗礼においては、泉や川へ入水する際に身分に基づく区別はもうけられていなかった4040先に述べたように、『ディダスカリア』も、場合によっては『使徒伝承』も、洗礼に際して女性の裸を男性が見ないで済むように配慮を求めている。つまり、「男と女」が別々に洗礼を受けた可能性は排除し得ない。しかしながら、『使徒伝承』が、男女がそろっている時に「受洗者はまず衣服を脱ぐ」と言うことに注意。。『サテュリコン』の主人公の一人トリマルキオンは、公衆浴場での入浴後にその奴隷たちに自らの身体を拭かせた(ペトロニウス『サテュリコン』28)。「受洗者は各自からだを拭く」とする『使徒伝承』の洗礼実践とは対照的である4141加えて、『ローマ皇帝群像Historia Augusta』に記されたハドリアヌス帝の浴場での逸話は有名である。すなわち、ハドリアヌス帝は浴場の壁に背中をこすりつけている顔見知りの退役兵を見つけ、何をしているのか尋ねたところ、垢を落としてくれる奴隷を有していないので自分で垢を落としていると彼は答えた。ハドリアヌス帝は彼に奴隷を数名与えたという(「ハドリアヌス帝の生涯」『ローマ皇帝群像』17)。。権力のシンボルを異なる身分の人前で脱ぎ捨てるという象徴的行為は、すぐさま「奴隷も自由人もなく」という状態を洗礼に際して実際に生み出した可能性がある。たしかに、『使徒伝承』が同様に示唆するように、受洗後に彼女たち/彼たちは、再び衣服を――権力のシンボルを――身にまとって教会に戻る。しかし、このような儀礼的演出に支えられた「行為遂行的発言」ないし「マグナカルタ」は、キリスト教徒たちに、この演出を現実のものとする行為を要請したはずである。

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