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宗教文化講座 翠雲堂
第17回「涙骨賞」受賞論文 本賞

近代フランスにおける仏教受容の一様相

― 神智学、アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール、ロブサン・ランパ

上野庸平氏
(2)ロブサン・ランパの『第三の眼』
ア.ロブサン・ランパとは

ロブサン・ランパとは、チベット生まれのラマ僧を自称したイギリス人作家シリル・ヘンリー・ホスキン(Cyril Henry Hoskin)である。ホスキンはイギリス南部のプリンプトンに配管工の息子に生まれ、中学校を卒業したのち、医療器具を扱う仕事や通信教育の仕事を転々とし、1948年に無職となった後、カメラマンなどをしつつ、「カール・クアン・スオ」という東洋人名を自称して、自作の書籍を出版社に売り込んでいた。1956年に「チベットに生まれたラマ僧ロブサン・ランパがチベットの地誌・文化を紹介し幼少時代を振り返る回顧録」の体裁で処女作『第三の目』を出版して成功を収めたが、その虚構性が批判されると、「イギリスにシリル・ヘンリー・ホスキンとして生まれたがラマ僧ロブサン・ランパの魂が乗り移った」と主張して、マスコミを避けるようにカナダに移住し、1981年に没するまで「ロブサン・ランパ」としてチベット仏教を装う様々なオカルト書籍を刊行した4040Donald S. Lopez Jr., Prisoners of Shangri-la: Tibetan Buddhism and the West (Chicago: The University of Chicago Press, 1998), 99-103.

彼の処女作『第三の目』はラマ僧を太古からの叡智を継承する神秘的な存在として描写しており、西洋社会におけるチベット仏教の神秘的なオカルトイメージを人々の間で増幅させ、人々に仏教(主にチベット仏教)への興味関心を深めさせた4141ルノワール、前掲書、209-214頁; Obadia, op.cit., 107.

『第三の眼』に描写され、人々の耳目を集めたのは、例えば人を搭載して空を飛ぶ巨大な凧、外科手術によって額に開眼された「第三の眼」、その「第三の眼」で人のオーラを読むこと、肉体を離れた精神による星間旅行、死去したラマ僧のミイラ作成、ポタラ宮の地下洞穴に安置された先史時代の巨人の遺体などである。

ランパは西洋世界で当時入手できたチベットや仏教に関する玉石混交の旅行記や学術書、そして神智学などの近代オカルティズムの諸要素をまとめ上げ、自身の空想力をもって、西洋人のメンタリティにとって妥当な幻想のチベット・イメージのブリコラージュを作り上げたのだった4242Lopez, op.cit., 86,110; Bouthillette, op.cit., 129.

『第三の目』はイギリスでの出版当初から、仏教学者・チベット学者から仏教ではなく西洋の近代オカルティズムを基にしていると評され4343Agehananda Bharati, “Fictitious Tibet: The Origin and Persistence of Rampaism,” Tibet Society Bulletin vol.7 (1974)(ウェブサイト (http://serendipity.li/baba/rampa.html)、2020年11月7日最終閲覧); Lopez, op.cit., 95-97.、イギリスでは探偵が彼の正体を「一介の配管工の息子」と暴いた報道もなされた。フランスでも主にイギリスの報道を基にした二次報道の形でその虚偽性が批評された。

当初より専門家やジャーナリストからその虚構性が指摘されていた『第三の眼』の内容とロブサン・ランパの身上は、当然のことながらチベット仏教のオーソリティからも批判されることになる。例えばダライ・ラマ14世は1964、65年に彼を取材したフランス人ジャーナリストのアルノー・デジャルダンに「『第三の目』は事実を記録したものではなく、ひとりの西洋人の著者によるまったくのフィクションであることを、明確に伝えてください」と述べており4444ルノワール、前掲書、214頁。、チベット亡命政府もまた、カナダ移住後のランパの著作の編集を引き受けた編集者アラン・スタンケのロブサン・ランパの記述の真偽についての質問にこう返事をしている。「T.ロブサン・ランパと名乗る人物による書籍に私たちが信を置いていないということをお伝えします。彼の諸著作は想像の産物であり、フィクションの性質を持つものです4545Bouthillette, op.cit., 14.」。

このように正当に批判がなされ、論駁された『第三の眼』の虚構性であるが、注目すべきはダヴィッド=ネールの諸著作と同様に、ロブサン・ランパの身上やその記述の真偽よりも、むしろこの本の持った影響力であった。

イ.ランパ現象

ルノワールによればロブサン・ランパの『第三の眼』は「二十世紀のオカルト文学や魔術的・秘教的文学には、途方もない力と知識とを持つチベットの神秘的なラマが登場するものがあるが、そうした著作すべての中でも、決定的な役割を果たした」ものであり、「現在に至るまで数世代にわたって多くの西洋人に深い影響を与えた4646ルノワール、前掲書、206頁。」ものである。

『第三の目』は1957年9月にフランス語版が出ると、フランスでは最初の一年で10万部が売れ、週刊誌『カルフール(Carrefour)』誌上には20世紀フランスを代表する作家であるピエール・ダニノやジャン・ジオノの顔写真と並んで、「今年のベストセラー作家」という体で紹介されるほどのヒット4747Claude Elsen, “QUE LIT-ON EN 1958?,” Carrefour, 20 août 1958, 11.となり、ランパはフランスでの売り上げだけで1年半の間に5000万フランの印税4848“Le faux Lama Hoskins publie une nouvelle autobiographie truquée,” Paris-presse, L'Intransigeant, 3 mai 1959, 4.を得たという。さらに、「ランパ友の会」という読者会も結成され、『第三の眼』に影響されて星間旅行や隣人のオーラを読むことを試みた人も多くいたという4949ルノワール、前掲書、211頁。

ランパの作品は西洋社会において多くの人を仏教に誘う結果をもたらした。『第三の眼』の内容とランパの身上の虚偽性にも関わらず5050アゲハナンダ・ブハラティによれば、ランパの信奉者となった者はランパに批判的なメディアの書評など読んでおらず、事実を知らなかったという。Bharati, op.cit. (http://serendipity.li/baba/rampa.html)、2020年11月7日最終閲覧。、ランパの書籍をきっかけに仏教に興味を持ったというフランス人は多く、今日のチベット学者や仏教学者にとっても、『第三の目』は初めて手にしたチベット関連本であり、それが彼らに仏教への興味関心を持たせる端緒となったのである5151Lopez, op.cit., 112. また、例えば、フランスを代表する日本仏教学者ジャン=ノエル・ロベールが仏教に関心を持ったきっかけも『第三の眼』であり、彼は1960年代には同著者の他の書籍を買い漁って貪るように読んだという。ロベール、前掲書、60-63頁。。ダライ・ラマ14世もこうした西洋社会に(その真偽はどうあれ)「チベット仏教」を認知させたランパの影響力の強さに関しては一定の評価をしており、「ロブサン・ランパはチベット僧院に足を踏み入れたこともなければチベットに来たこともない。(しかし)このことは作品の空想的な価値を取り払うものでは決してない。彼はチベットについての広告塔を担ってくれたのだから私は感謝しなければならないだろう5252Fabrice Blee, “Pour un dialogue entre l’Orient et l’Occident, Mort et réincarnatfon chez Lobsang Rampa et Sogyal Rimpoche,” dans Bertrand Ouellet et Richard Bergeron (dir.), Croyances et sociétés, Communications présentées au dixième colloque international sur les nouveaux mouvements religieux (Montréal : Fides, 1998), 435.」と述べている。

このような『第三の目』の影響力の強さをドナルド・ロペスは、法華経の三車火宅の説話を引用し、ランパは単なる詐欺師ではあるものの、その虚偽性はともかくとして、西洋社会に仏教とチベットに関する関心を惹起させ、広義には仏教を西洋社会に布教・浸透させるいわば「方便」という宗教的役割を有効に担ったと評価する5353Lopez, op.cit., 112-133.

ウ.ダヴィッド=ネールとランパ

『第三の眼』のロブサン・ランパの以前に「神秘と魔術の国チベット」というイメージを西洋人(就中フランス人)にまず与えたのはダヴィッド=ネールであると先に述べた。

従って、『第三の眼』を読む前に、この本で語られていること全てがなされているこの国のことについて、我々はほとんど全く知らないということを思い出す必要がある。この国はヒマラヤを経験したヨーロッパの登山家の多くが語っているように、生き物を変容させ、尋常ならぬ能力を与える高原の地だ。宗教においてもそれは同じで、チベットにはとても濃密な宗教の空気があり、例えば、あらゆる奇跡がすべて現実となるアレクサンドラ・ダヴィッド=ネール女史の本に書かれているように、人を唖然とさせる未知の「力」を培う地なのである[引用者下線]5454Marcel Brion, “L'autobiographie d'un lama tibétain,” Le Monde, 14 octobre 1957.(Le Mondeウェブサイト(https://www.lemonde.fr/archives/article/1957/10/14/l-autobiographie-d-un-lama-tibetain_2341295_1819218.html?_ga=2.256391051.1698591865.1600830140-377551820.1599188069)、2020年11月7日最終閲覧).

上記に引用したル・モンド(Le Monde)紙の『第三の眼』書評が、まずダヴィッド=ネールの著作に依拠してチベットを紹介したことからわかるよう、両者が西洋人のメンタリティ(「チベット」という単語に抱くイメージ)に同じような影響を与えたのは明白である5555例えばロペスは、ランパもダヴィッド=ネールもともにチベットのmystifier(神秘化させた人)であると論じている。Donald S. Lopez Jr., “The Image of Tibet of the Great Mystifiers,” in Imagining Tibet :Perceptions, Projections, and Fantasies eds., Thierry Dodin and Heinz Rather (Boston: Wisdom Publications, 2001), 184.が、両者に対するチベット仏教のオーソリティの評価は異なるものだった。例えば先述の通り、ダライ・ラマ14世は『第三の眼』の記述を事実ではなくフィクションと断じた一方、ダヴィッド=ネールについては、「私たちは彼女の英語に訳された彼女の本を読んでいる。そこにはまさに私たちのチベットがある。他のヨーロッパ人の作家とは違う5656Jacques Brosse, Alexandra David-Neel (Paris :Albin Michel,1991), 288..」と積極的な評価をしている。

チベット仏教のオーソリティの両者への評価の相違は、ランパの著作と異なってダヴィッド=ネールの著作が事実と体験に基づいていることを考えれば当然のことであるが、例えば先述した『チベット魔法の書』に描かれるような死人に接吻をして蘇らせる秘儀や鞠のように跳躍して移動したり、テレパシーで交信したりする描写と、『第三の目』に描かれる人を載せる凧や外科手術による第三の眼の開眼などの描写を並置してみると、双方の“奇抜さ”は一般の読者にとっては真偽の判断のしようがない。

こうした『第三の眼』の流行において、注目すべきはその描写の真偽よりもこの本の持った影響力であったと先に述べたが、それはまさにこの点である。すなわち『第三の眼』に魅せられた人々はその真偽はさておき、空想上の「チベット」を舞台にしたランパの“演出”に魅了されたと言えるのだ。

ロペスは、自身の大学の学部生へのゼミで6週間チベットの宗教と歴史に関する講義や講読を行った後、学生にその虚構性は伏せて『第三の眼』を読ませると、学生皆がその内容を絶賛し、それが真正なものであると信じて、チベットとチベット仏教に対する真の理解が得られたという感想を述べたと明かし、マイアミ・ヘラルド紙(Miami Herald)の書評を紹介する形でこう述べている。「読者を魅了したのは、奇妙な地[チベット:引用者注]だけではなく[…]むしろ、(ランパの)東洋の哲学を解釈する技巧なのである」5757Lopez, Prisoners of Shangri-la,104-111.

ロブサン・ランパはその文学的技巧をもって、西洋社会に熱狂的に受け入れられる神秘的・精神的・非物質的な「チベット」や「仏教」のイメージを描き出した大ヒット作品を作ったが、そもそも、彼が作り出したチベット仏教の姿が西洋人の心に響いたのはどうしてだろうか。それは、当時の西洋社会に立ち上っていた西洋的近代主義(合理主義・科学万能主義・物質至上主義等)やキリスト教の教条主義へのアンチテーゼをランパが絶妙にチベット仏教に仮託したこと5858Bouthillette, op.cit.,117-119,131.、そして、西洋社会に西洋的近代主義やキリスト教の教条主義へのアンチテーゼとしての神秘的な「チベット」や「仏教」のイメージがそもそも存在していたからにほかならない5959時代はやや遡るが、冒頭に引用した「Adresse au Dalai Lama/ダライ・ラマへの上奏文」を参照。

それでは、ロブサン・ランパが『第三の眼』で、卓越した“技巧”をもって描き出したその「チベット」や「仏教」のイメージの“原型”は何だったのか。それは19世紀後半と20世紀前半にかけて仏教を西洋社会で普及させた神智学協会のそれであった6060ルノワール、前掲書、6頁。しかしながら、ランパ自身が神智学を標榜したこともなければ、彼の著書の読者がそのまま神智学の信奉者であったということもない。後述するが、彼の読者で神智学についての知識のある者はおそらく5%に満たなかった。

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