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宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
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宗教文化講座 翠雲堂
第17回「涙骨賞」受賞論文 本賞

近代フランスにおける仏教受容の一様相

― 神智学、アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール、ロブサン・ランパ

上野庸平氏
(3)神智学とアレクサンドラ・ダヴィッド=ネール
ア.神智学によって仏教に接したダヴィッド=ネール

アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールが仏教への興味関心を持つきっかけは神智学協会であった7373Marie-José Delalande, “Le mouvement théosophique en France 1876-1921,” (Thèse, Faculté des Lettres, Langues et Sciences Humaines de l’Université du Maine, 2007), 6,143.。彼女は、1889年にロンドンに住んでいたおり、神智学協会のロッジに通っていた。そこで彼女は神智学の書籍を協会の仲間とともに読む日々を過ごしていたのである7474Jean Chalon, Le Lumineux destin d’Alexandra David-Néel (Paris: Perrin, 1985), 52.

彼女が、当時ロンドン在住だったブラヴァツキー夫人と出会ったのか否かは定かではないが、文通などを通して神智学の人士との濃密な交流は続き、翌年フランスに戻った後は、パリの神智学協会の本部に住み込みながら、コレージュ・ド・フランスやソルボンヌ大学、ギメ博物館などでエドゥアール・フーコーやシルヴァン・レヴィなどの東洋学者・チベット学者からオーセンティックな東洋学やチベット語を学びつつ、ブラヴァツキー夫人没後ロンドンで神智学協会を率いていたアニー・ベサントなど神智学の人士との交流を重ね、神智学協会から書籍の刊行も行っている7575Delalande, op.cit., 470.。1891年にはインドやスリランカで活動する神智学協会の枠組みで初めてインドやスリランカの地を踏み、1892年には名実ともに神智学協会に入会を果たした。彼女が青年期に仏教へ興味関心を持つきっかけとなり、その思想形成に深い影響を及ぼしたのは神智学であったのだ。

イ.神智学として語られたダヴィッド=ネール

その後、ダヴィッド=ネールが東洋学研究者として改めてチベットに旅立つのは先述した通り、それから20年後である。その頃には、彼女はもはや神智学には共感しなくなっていた7676『チベット魔法の書』[246頁]には次のような逸話が掲載される。ある日、ダヴィッド=ネールがテレパシーを行うことができるというチベットのラマ僧に、ブラヴァツキー夫人が行っていたマハトマ書簡の手法の真偽を嘲笑気味に質問すると、ラマ僧は「それがインドを征服した国民がやることなのか?」とあきれたように返答したという。が、『チベット魔法の書』に対してはフランスの中国学者マルセル・グラネからこのような興味深い書評が書かれている。

この本はあらゆる誘惑を逃さない。この本を読めばチベット、魔術と神秘の世界の中に幻想旅行することができるのだ。本の中で、世界で最も美しい風景の描写が黒魔術の恐ろしいシーンの描写に交じり合う。ラブレー風の物語が刺々しい逸話と交錯し、滑稽な描写と迷信を打破する分別がこの世で最も難解で深遠な理論の分析と交錯する。この本に、厳しめで気難しい気持ちで臨んだ読者は、著者が観察したことを小説のような形で世に出したことをおそらく残念に感じるはずだ。それによって、事実の検証が難しくなっているのだから。きっと、(読者は)チベット人が神智学徒の使う言葉で自己表現することにも驚くだろう7777Marcel Granet, critique de Mystique et magiciens du Tibet par Alexandra David-Néel, La Quinzaine critique des livres & des revues 1, no.5 (janvier 1930): 313.[傍点引用者]。

グラネが「神智学者の使う言葉」と形容したのは、先述した同書の随所に現れるオカルティズム的描写(テレパシーなどの超常現象)を指しているのだろうと思われる。また、グラネはダヴィッド=ネールのInitiations lamaïques(邦訳なし)の書評ではこうも述べる。

それで、どうしてこの懐疑的で時に嘲笑するような調子の文体が、読者を誘うような敬虔で柔和な神智学の論調に交じり合うのか?7878Granet, critique de Initiations Lamaïques, 313.

また、女性向け雑誌『ラ・ファム・ド・フランス(La Femme de France)』で行われたダヴィッド=ネールのインタビュー記事では、彼女の著作の読者たちが、フランスに戻ったダヴィッド=ネールがチベット語でサムテン・ヅォン(チベット語で「瞑想の館」の意)と名付けて居を構えたディーニュの屋敷を、「神智学の修道院」と思い込んでいるという話を笑いながら行っている7979Claire Charles-Géniaux, “Chez Alexandra David-Néel,” La Femme de France, 20 novembre 1932, 20.

ダヴィッド=ネールの学術的な観察眼や文章能力、彼女の神智学への態度はどうあれ、ともかく当時のフランスの市井の人々が彼女の書籍を神智学/近代オカルティズムの文脈で読んだのは過言ではないだろう。

(4)神智学とロブサン・ランパ
ア.『第三の眼』の技巧

ロペスによれば、ロブサン・ランパの『第三の眼』におけるチベットとチベット仏教に関する記述はハインリッヒ・ハラーの『チベットの七年』(原題:Seven Years in Tibet)やエドウィン・ジョン・ディングル8080Edwin John Dingle: 1881~ 1972。イギリス出身のジャーナリスト、思想家。20世紀初頭から20年以上を中国やチベット、インドで過ごした。チベット滞在中はチベットの僧院で修業したと主張しており、1920年代にアメリカに移住してチベット滞在中にラマ僧から学んだという教えを生かしたメンタルフィジック研究所(Institute of Mentalphysics)をカリフォルニアに設立し、人々に瞑想や呼吸法を教えた。My Life in Tibet(邦訳なし)、また先述したダヴィッド=ネールの諸著作など、当時において英語で手に入るチベット関連の諸文献が情報源であるが8181Lopez, op.cit.,103.、彼の著作の根底を流れる思想の体系は神智学をはじめとする近代オカルティズムによるところが大きく8282ブハラティは「ロブサン・ランパは神智学の書籍を隈なく、そうでなければ概説本などを読んでいたことは間違いない。彼の全ての書籍はブラヴァツキーの思想の匂いが充満している」とする。もっともランパ本人は「ブラヴァツキーの著作もダヴィッド=ネールの著作も一切読んだことはない」と言明している。Bharati, op.cit.; Lobsang RAMPA, Candlelight (2016), 118(ウェブサイト(Tuesday Lobsang Rampa(https://www.lobsangrampa.org/)、2020年11月9日最終閲覧).、肉体を抜け出した精神の星間旅行、先史時代の宇宙人の地球来訪、戦争の予言、人間の魂の霊性進化などのスピリチュアリズムや神智学の諸要素がチベットを舞台に交じり合って演出されたことがランパの本の魅力であった8383Lopez, op.cit.,102-103.

例えば、『第三の眼』は「第三の眼」を「罰/堕落」の文脈で、輪廻転生を「霊性進化」として述べる。

チベットの伝説によると、昔はすべての男女が第三の眼を使うことができた。その当時は神さまも地球の上を歩き、人間と雑居していた。人間は、神さまの方がよりよくものを見抜くことができるということを忘れ、神さまにとってかわろうと、とんでもないことを考え出し、神さまを殺そうとした。その罰として、人間の第三の眼は閉じられてしまったのだ8484ロブサン・ランパ『第三の目』光文社、1957年、112頁。

仏教の信仰によれば、すべての動物は、いやすべての生物は魂をもち、生まれ変わるたびにより高い地位のものとなる8585同上、41頁。

こうした描写が神智学の言説から来ているのは言うまでもない。太古において霊的に高次な存在であった人類が具有していた「第三の眼」を堕落とともに失う言説は『シークレット・ドクトリン』にすでに見いだされ8686H. P. ブラヴァツキー『シークレット・ドクトリン』田中美恵子訳、竜王文庫、2017年、356-401頁。、仏教において輪廻転生は苦である世界そのものであるが、神智学においてのそれは霊性の完成に近づくための進化の道程であるとされ、完全に向かって進む霊性進化としての輪廻転生は『第三の眼』をはじめとするランパの諸著作の多くに現れている。

ランパの読者の多くは、『第三の眼』に表現されるこうした神智学的な要素に魅了されたわけだが、ランパの書籍の読者で神智学について聞いたことのある者はおそらく5%もいなかっただろうと論じられている8787Bharati, op.cit.。このことは取りも直さず、神智学そのものではなく、時とともに世俗化に進む西洋社会にあって神智学が浮かび上らせ、広く浸透させた神智学な認識枠組み、過言すれば、西洋的近代主義へのアンチテーゼが「チベットは/仏教はこうあれかし」という漠然としたイメージとともに西洋人のメンタリティに通底しており、ランパはそれを忠実に演出しただけだったということを示していると言えるだろう。

繰り返しになるが、神智学の思想を、「チベットのラマ僧本人」という絶妙な配役で、西洋人にとって妥当な形で語らせたのがロブサン・ランパの“技巧”であったのである。これをピーター・ビショップは、「ヒマラヤのマハトマに関するブラヴァツキーの主張は100年経った後、ロブサン・ランパのキッチュで馬鹿げた物語とオカルト狂言に進化するに至ったのである」と端的に述べている8888Peter Bishop, The Myth of Shangri-La: Tibet, Travel Writing and the Western Creation of Sacred Landscape (Berkeley: University of California Press, 1989), 234.

イ.神智学と50年代円盤ブームとロブサン・ランパ

処女作『第三の眼』では、まだラマ僧という体裁を守ろうとしていたランパであるが、次第に自身の神智学的傾向を隠そうとしなくなり、1960年に出版したThe Rampa Story(邦訳なし)では、アストラル体となって他の惑星に行き、宇宙人の賢者たちから教えを授けられたと述べ8989Lobsang Rampa, The Rampa Story (London: Souvenir Press, 1960), 35-39.、さらに『第三の眼』の発表から10年後の1966年にはUFOに乗船して物理的に金星に行ったという『チベット上空の円盤―宇宙船に搭乗して』(原題:My Visit To Venus)も世に出ることとなった。

こうしたランパの思想変遷は彼と同時代に活躍した『空飛円盤実見記』(1953年)等の著作を持ち、UFOカルトの先駆けとなったジョージ・アダムスキーと比較できよう。一般に金星人に出会ったUFOコンタクティとして知られるアダムスキーは、彼の諸著作によりアメリカでUFOブームが到来する以前、元来は神智学の思想を基にメタフィジカル教師として活動を行っており、まるでブラヴァツキー夫人のように「8歳から12歳までチベットに留学してダライ・ラマから教えを伝授された」と称し、1930年代には「王立チベット教団(Royal Order of Tibet)」という団体を作り、1936年に『宇宙宝典 ロイヤル・オーダー』(原題:Wisdom of the Masters of the Far East[傍点筆者])という本を出版9090副題はQuestions and Answers by the Royal Order of Tibet。書名に関わらず、東洋の文化やチベット仏教の教義は関係しない書籍である。するなどして活動していたのだ9191大田、前掲書、123-139頁。

「神智学」という彼らの大本の思想9292もっとも両者ともに自身の神智学的ルーツを公言してはいないが。に立脚して両者を見れば、ロブサン・ランパもジョージ・アダムスキーもその思想を展開する“舞台装置”をそれぞれチベットと金星に置き、前者はチベットで、後者は金星で、それらの舞台装置がたまたまうまく機能したのだと言えるかもしれない9393ちなみに日本では、ランパの『第三の眼』は共同通信記者の今井幸彦の翻訳で総合出版社の光文社から出版されたが、My Visit to Venus(邦題:『チベット上空の円盤』)は日本にアダムスキーを広めた第一人者・久保田八郎の翻訳でUFOコンタクティ団体の「宇宙友好協会(CBA)」から出版されている。なおCBA初期の元会員で竜王会(日本における神智学の最も伝統的な代表団体)会員が筆者に語ったところによれば、「『第三の眼』もアダムスキーもどちらも若いころによく読んだ」とのことである。

はからずもランパの諸著作の出版からやや遅れて始まるニューエイジが神智学をはじめとする近代オカルティズムに依拠していることは論を待たず9494Hanegraaff, op.cit., 515.、これにより、ブラヴァツキー夫人は今日、「ニューエイジの母」と呼ばれている。ニューエイジ研究の第一人者ハーネフラーフは、主にニューエイジの用語は1970年代後半から使用され始めた9595Ibid., 12.という理由から主著New Age Religion and Western Cultureにランパを紹介しないが、ランパが述べ伝えた「チベット/チベット仏教」のイメージはニューエイジのそれ9696Frank J. Korom, “The Role of Tibet in the New Age Movement,” in Imagining Tibet, Perceptions, Projections & Fantasies, ed. Thierry Dodin and Heinz Rather(Boston: Wisdom Publications, 2001), 173.を先取りするもの―同時に神智学のそれを後追いするもの―であり、西洋社会に巻き起こされたランパの流行は、神智学の教義をチベット仏教という舞台装置で装い新たに演出したという点で、その直後に始まるニューエイジの前兆ともなったと言えるだろう。

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