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宗教文化講座 翠雲堂
第17回「涙骨賞」受賞論文 本賞

近代フランスにおける仏教受容の一様相

― 神智学、アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール、ロブサン・ランパ

上野庸平氏

4.終わりに

仏教と西洋社会の歴史的な「出会い」について、ルノワールはこう述べる。

西洋文化とキリスト教という二重焦点の眼鏡を通して受容された仏教は、これまでずっと、多くの誤解と再解釈を免れえなかったし、その状況は今も変わらず続いている。仏教は、理性に価値を置く十九世紀なかばの社会においては、合理主義的な用語で解釈され、宗教的感情と魔術的指向を再発見した十九世紀末の社会においては、敬虔で秘教的な言葉で解釈された。一九六〇年代、個人的、心理的、身体的体験に力点を置く社会においては、心理的―身体的な瞑想の実践として受容され、そしてついには、意味と新たな倫理指針が求められる二十世紀末の社会においては、普遍的価値についての世俗的な叡智として評価された。じっさいのところ、仏教はそのすべてを同時に少しずつ兼ね備えているのであり、その高い柔軟性によって、とてつもなく多様で、時には相反することもある数々の求めに応え、順応している9797ルノワール、前掲書、319頁

本論で見てきたように、神智学に包摂された枠組みの中で認識・形成・表象された「仏教」は、意図するとせざるとにかかわらず、ダヴィッド=ネールの著作によって広く人口に膾炙され、ランパによってそれが結実した。これは、上記に引用したルノワールの述べる西洋社会が仏教に自らが求める意味を見出したという営みに他ならない。神智学の枠組みにおける仏教が多くの人を魅了したという現実は、仏教が「敬虔で秘教的な言葉で解釈された」現象であり、それが西洋社会の時代的求めに沿ったものであったということを示している。

『第三の眼』によって結実した「神智学の枠組みの中の仏教」は、直後に時宜良く、カウンターカルチャーの波とともに始まった禅やチベット仏教という正統な仏教の流入によって、次第にかき消されていくが、仏教がフランスをはじめとする西洋社会の時代的要請に順応し、西洋社会は広範な仏教の世界から、自らの求める意味を抽出して描き続ける、その営みは今もなお続いている。

正統の仏教が流入した後の今日におけるフランス社会の仏教信仰の様相は、個人主義的・折衷主義的に仏教の諸要素をいわば宗教的商材としてライフスタイルや個人の精神性の中に巧みに選択し取り入れている9898例えば健康法の一環として禅を行ったり、仏教徒ではないにせよ輪廻転生を信じたりなど。もので、「アラカルト宗教(仏教)」とも呼ばれている9999Etienne and Liogier, op.cit., 156.。ロブサン・ランパは、そもそもはキリスト教も仏教も根は同じものから来ていると説いたが、今日フランスでは座禅をしながら聖体拝領を行う“禅ミサ”も行われ、フランス人の仏教徒には仏教の実践(リトリートや瞑想)による内なる旅を通して、キリスト教などの自身の元来の宗教へ回帰していく例(座禅など仏教の信仰実践を通してキリスト教の「赦し」の意味を知るという体験など)も見られる100100Lenoir, op.cit., 278, 349.。輪廻転生は、苦悩に満ちた世界にまた生まれなければならないという苦しみではなく、この世にまた生まれてくることができるという「永遠の生命」を知った喜びとして捉えられている101101満足圭江「現代フランスにおける仏教受容」『東洋哲学研究所紀要』16号、2000年、154頁

このように、西洋社会における「アラカルト仏教」が、人々が個人主義的に取捨選択して精神性を求道するというニューエイジ的な志向を持つことは、前述した通り、特に欧米においては仏教もニューエイジもともに神智学の枠組みの中から立ち現れてきたことでも首肯されよう。吉永は個人化宗教というアメリカの仏教の性質と、組織宗教の枠外でニューエイジから派生したスピリチュアリティを求める受容層との重なりを指して、「神智学と仏教の関係は、今でも切れていない」と述べているが102102吉永、前掲論文、121頁。、フランスの仏教徒の中にも、薔薇十字団、フリーメーソンなどの秘教遍歴の後に仏教にたどり着いた人も多くいる103103Etienne and Liogier, op.cit., 114-119; Lenoir, op.cit., 131.

今日、特に西洋社会で見受けられるのは、以上のような個人主義的で非教条主義的な仏教信仰の在り方であるが、デヴィッド・マクマハンは「仏教モダニズム104104David L. McMahan, The making of Buddhist modernism (New York: Oxford University Press, 2008).」という用語で、上記のような西洋社会の仏教信仰の在り方を包摂した現代世界の仏教潮流を表現する。マクマハンによれば仏教モダニズムは「数千年にわたってアジアで実践されてきた仏教の多様な姿を描写したものではないし、単なる西洋の幻想でもない。それはむしろ、西洋近代の主要な言説や実践と、仏教の特定の要素とが結びついた、ハイブリッドな宗教的・文化的形態」105105デヴィッド・マクマハン「仏教モダニズム」田中悟訳、末木他編『ブッダの変貌』、387頁。であり、その特徴は近代西洋を原点とする脱伝統化、脱神話化、心理学化であるとされる106106MacMahan, op.cit., 42.

マクマハンは、神智学を仏教と意義ある関係を築いて仏教モダニズムのハイブリッドな一側面を形成したものとし107107Ibid., 19.、ブラヴァツキー夫人とともに神智学を創始したオルコットを、仏教モダニズムの形成において、オカルト科学の領域によって仏教を近代性に結び付ける役割を担った人物として評価しているが108108Ibid., 97-101.、西洋の秘教伝統と仏教のハイブリッドである神智学は、本論で見てきたように、ダヴィッド=ネールにとっては仏教への参入のきっかけであり、人々にとっては彼女の著作を読むためのフィルターであり、ロブサン・ランパにとっては「チベットのラマ僧本人」の装いで表出される認識枠組みであった。神智学はオルコットやブラヴァツキー夫人の活躍した19世紀末だけではなく、20世紀中葉においても、フランスをはじめとする西洋社会における仏教の浸透に一役買ったのである。

空中浮遊、テレパシー、第三の眼、宇宙人の賢者…こうしたダヴィッド=ネールやロブサン・ランパのオカルティックな文学的修辞はむしろ、「仏教」によって、人々を神智学が醸し出す新たな「神話」の中に誘うものであったが、人々はそこから仏教を知り、仏教に近づき、仏教を受容し、「仏教モダニズム」という今日の仏教の近代的な在り方へ矛盾的にたどり着いたのだった。

神智学の枠組みに包摂された仏教は、フランスをはじめとする西洋社会がそこに投影した願いによって、人々を仏教に結果的に導いた。アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールとロブサン・ランパはその一端を有効に担ったのである。

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