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翠雲堂
第17回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

近世戒律復興運動の祖師・俊正明忍

対馬における奇瑞・臨終瑞相をめぐって

高松世津子氏

おわりに

明忍は、江戸時代の始まる直前、慧雲や友尊らと邂逅し、志を同じくして鎌倉期の叡尊の思想や自誓受戒を学び実行した。西大寺に叡尊の思想と行業が典籍や知識として伝えられていたため、明忍らは、叡尊やそれ以前の戒概念を踏襲して、比較的早期に近世における戒律復興を実現することができた。ただ明忍は別受を目指したが、同志が皆早世したことによって実現できなかった。

また明忍は同志と共に、持戒僧侶による僧坊を創設し戒律復興の礎を作った。明忍後、通受比丘になる時は自誓によるとし、僧坊における戒学修行五夏已満で末寺での住持などを許された。西明寺ではこのように近世期を通して自誓受戒を行い多くの律僧を輩出し、律僧になるにあたり、懺悔による仏菩薩からの直接の受戒によって戒体を発得する自誓受戒が広く行われることとなった。野中寺派、神鳳寺派やそれぞれの末寺も発展、他宗派にも伝播し、傑出した僧も現れ、近世社会の秩序と平和に少なからず貢献したといえよう。

明忍は中国での別受相承を目指し、平等心王院を出て対馬で持戒堅固な生活を続け渡航の機会を待った。対馬での三年目には、中国仏教の退廃を耳にし、渡航してもその意味がない状況だと伝え聞いていた。しかし明忍は、来世にでも別受を実現させる強い誓願を立てていたことを『立願状』に記し、帰寺する意図はないことを同志に伝えた。その前日の夜には金色釈迦像を感得、また遷化の時には『往生要集』『阿弥陀経』などに書かれた極楽世界と同様の臨終瑞相を得て自身が記した。臨終瑞相は諸明忍伝によって広く世の人々に知られることとなり、超越的世界の存在(仏菩薩)が顕現して、困難な状況下で真摯な実践を続けた明忍を督励したと、確信されたであろうと思われる。好相感得の上での自誓受戒の実施、そして明忍自身が記した奇瑞は、超越的存在と直接つながることのできた証としての宗教的価値を持つものと認識され、明忍の戒律復興が近世期仏教の基底に脈々と流れ、時には潜在し時には顕在して、仏教の宗教的価値を支えた要因の一つになったと言えるのではないか。またそれは、浄土信仰や往生伝の興隆にも繋がったとも考えられる。

以上のように、明忍が具足戒を備えた比丘らによる平等心王院を中興し、また臨終瑞相を書き残したことは、その後の近世仏教に大きな影響を与えたといえよう。近世思想史理解のためには、その後の律の三僧坊をはじめ、天台律、浄土律などへの伝播と変化、黄檗宗との関わりなど、近世仏教戒律復興の研究を深める必要があると考える。


  1. 仏教修行の三つの要目。「戒」は止悪修善、「定」は心を静め陶冶すること、「慧」は真理を証得することである。
  2. 松尾剛次『新版鎌倉新仏教の成立-入門儀礼と祖師神話-』(吉川弘文館 一九九八)p185~。
  3. 通受とは、三聚浄戒を受けることにより声聞戒(律儀戒)と菩薩戒とを総じて受けるという、鎌倉初期の覚盛によって創出された受戒法。そもそも通受とは、「僧俗が通じて(共通して)受けること」という意味であったが、覚盛により「ただ三聚浄戒のみを受けることで 声聞戒(律儀戒)と菩薩戒とを通じて受けられる」という意に変じられ用いられるようになった。それは、律蔵および印度以来の菩薩戒の授受に関する規定とは異なり、南都でも鑑真以来否定されてきたものであった。また通受によって具足戒を受けた者を通受比丘という。蓑輪顕量「覚盛の通別二受の主張」(『中世初期南都戒律復興の研究』〔法蔵館・一九九九〕第四章)。
  4. 六波羅蜜のうち戒波羅蜜の具体。『華厳経』や『菩薩善戒経』等の経典に説かれ、『瑜伽師地論』(および『菩薩地持経』)や『摂大乗論』など、主として唯識系の論書においてその具体的内容が詳述された、摂律儀戒・摂善法戒・饒益有情戒の三種をその内容とするもの。声聞乗における五戒・八斎戒・十戒・具足戒などの律儀戒と、菩薩乗における菩薩戒とを包摂したものであり、大乗教徒が必ず受持すべきものとされる。
  5. 一 一九四~一二四九。貞慶に師事、明恵から華厳を戒如から律を学ぶ。興福寺常喜院で戒律を学び嘉禎二年(一二三六)叡尊らと東大寺で自誓受戒をした。唐招提寺中興祖。
  6. SAT大正新脩大蔵経テキストデータベース T1484.24.1006c05~。
  7. 荒井しのぶ「法華経と苦行と滅罪」(東洋哲学研究所紀要〔二四〕東洋哲学研究所二〇〇八)。また、山部能宜「『梵網経』における好相行の研究」(荒牧典俊編『北朝隋唐中国仏教思想史』法蔵館二〇〇〇)など、経典から大陸の起源までに遡る研究もある。
  8. 松尾剛次「夢記の一世界―好相日記と自誓受戒―」(『日本中世の禅と律』吉川弘文館 二〇〇三)、前掲3蓑輪「夢と好相と懺悔」など。
  9. 前掲6 T1484_.24.1008c17~。
  10. 前掲6 T0277_.09.0389b26~。最澄は『梵網経』とともに自誓受戒の根拠とした。
  11. 前掲6 T1339_.21.0656b28~。好相について「若し其の夢中に、師の長手もて其の頭を摩すること有るを見、若し父母、婆羅門、耆旧の有徳の是くの如き等の人、若し飲食、衣服、臥具、湯薬を与うれば、当に知るべし、是の人、清浄戒に住すと」とある。叡尊が好相の根拠の一つとした。『西大寺叡尊伝記集成』(法蔵館一九七七)「自誓受戒記」p338。
  12. 覚盛、叡尊や忍性(一二一七~一三〇三)、円照(一二二一~七七)など遁世の律僧が中心となった(松尾剛次『新版鎌倉新仏教の成立』〔吉川弘文館 一九九八〕など)。
  13. 徳川家康の帰依を受け神護寺など中興。
  14. 慧雲(~一六一七〔一六一六?〕)は叡尊ゆかりの三輪明神前で明忍が宿契のように出会ったとされ稲荷明神に関する奇跡も伝えられるため別の機会に考察したい。
  15. 一六一五没。西大寺で学ぶ明忍・慧雲に共感し、莫逆の交わりを結んだ(表⑤『槇尾山平等心王院故弘律始祖明忍和尚行業曲記』による。なお諸明忍伝資料情報等に関しては「明忍伝一覧表」を参照。)。

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