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翠雲堂
第17回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

近世戒律復興運動の祖師・俊正明忍

対馬における奇瑞・臨終瑞相をめぐって

高松世津子氏

  1. 一六一七没。西明寺第三代衆主。諸明忍伝においては言及がない。
  2. 西明寺 京都市右京区梅ヶ畑槙尾町。真言宗大覚寺派。平安天長年間(八二四~三四)に、弘法大師高弟智泉により神護寺の別院として創建。修業に適した山寺で、平安時代末期に荒廃、鎌倉時代の建治年間(一二七五~七八)に我宝自性上人が中興、正応三年(一二九〇)に後宇多法皇が平等心王院の号を命名し神護寺より独立した。戦国時代の永禄年間(一五五八~七〇)に兵火により焼亡したが、慶長七年(一六〇二)に明忍により再興された。現在の本堂は元禄十三年(一七〇〇)に桂昌院の寄進により再建。
  3. 比丘の傍に仕える在俗の人。道依は後に西明寺で沙弥から自誓受戒して比丘になる。
  4. 大阪府羽曳野市。西明寺で自誓受戒した慈忍慧猛による中興。
  5. 和泉国大鳥郡、大鳥神社神宮寺。明治の神仏分離で廃絶し、寺宝などは現在光明院蔵。賢俊良永より受具した真政円忍の弟子快円恵空らが再興した。良永は対馬宗家出身。偶々帰省した対馬で明忍と会い、西明寺で受戒した。
  6. 例えば霊潭性澂(一六七六~一七三四)、敬首祖海(一六八三~一七四八)、普寂徳門(一七〇八~八一)らが自誓受戒をした。
  7. 寺門派法明律院。拙稿「近世天台宗寺門派義瑞性慶の事績と自誓受戒」(『日本宗教文化史研究』二四-二 二〇二〇・十一)。
  8. 西明寺『自誓受具同戒録』(慶長~安政年間)、野中寺『青龍山野中寺僧名録』(寛永~明治二十五年)、神鳳寺『神鳳一派僧名帳』(延宝~慶応二年)。後掲29『日本における戒律伝播の研究』に翻刻が掲載。
  9. 藤谷厚生「近世初期における戒律復興の一潮流―賢俊良永を中心に―」(『四天王寺国際仏教大学紀要』人文社会学部三七号 二〇〇三)、「『三国毘尼伝』にみる近世真言律の特徴について」(印度學佛教學研究第五四第二号 二〇〇八)、「近世戒律復興と野中寺律僧坊(『印度學仏教學研究』第五九号第一号 二〇一〇)など。ただ他宗派に関しては、真言律系の自誓受戒を継続したかどうか、調査の必要がある。
  10. 他、西明寺には仁和寺尊寿院阿証(佐竹北家第七代当主)や一通妙愚禅師(当時、宗派を問わず各所で修行し願主にもなった僧。①『開山明忍律師仮名行状』成立にも関わった)により、東寺舎利、叡尊舎利など由緒ある舎利が施入された。
  11. 東京帝大仏教青年会編 三省堂 一九四〇。
  12. 『密教文化』一 一六号一九七六。「同⑵」は『密教学研究』九号 (大正大学・一九七七)他多数。
  13. 前掲24など。
  14. 元興寺文化財研究所 二〇〇四。本稿では西明寺の項を参照した。
  15. 『日本中世の経典と勧進』第4部「中・近世の律宗と聖」第3章(塙書房二〇〇五)。
  16. 昭和女子大学『学苑』、九二二、九二四、九二五、九二九、九三四、九三六、九三七、九四一号、二〇一七・八~二〇一九・三。
  17. 拙稿「自誓受戒の好相行・好相をめぐる考察:近世期・真言律系を中心に」(『日本宗教文化史研究』二三-二 二〇一九)、前掲22。
  18. 『密教文化』一 一三号 一九七六。
  19. お茶の水女子大学国語国文学会『国文』一九九八。
  20. 『放送大学日本史学論叢』⑷二〇一七。
  21. 『放送大学日本史学論叢』⑸二〇一八。他「明忍律師の周辺人物について」(同⑺二〇二〇)。
  22. 他に井上慶覚「明忍律師の正法律復興運動に就て」(佐伯啓造編輯『以可留我』鵤故郷舎一九三六)など。なお大阪法楽寺HPに石川覺應による詳細な資料翻刻や解説が掲載。  
  23. 前掲拙稿22、32。
  24. 前掲29 3-18 巻子装 九紙 七書簡を巻子装でまとめた第二。七紙目「平等心王院」(複廓長形朱印)、裏打ちあり。
  25. 前掲29 キュウ26 軸装36.8×26.0、左下に「平等心王院」(複廓長形朱印)。
  26. 前掲34。
  27. 前掲35 36。
  28. 叡尊は、三聚浄戒を自誓で通受戒して菩薩比丘になった十年後、正規の声聞僧になるために白四羯磨に依って比丘戒を受ける(別受する)べきだとした。
  29. 前掲29 4‐1。
  30. 前掲29 1-9。
  31. 前掲29 1-10。
  32. 前掲29 P13)「同戒録」では、晋海僧正と慧雲の示寂の日付はどちらも慶長十六年辛亥三月二日であるが、慧雲の場合、同p18「当寺律法再興以来歴代住寺名位」と西明寺蔵位牌に記される日付を示した。
  33. 叡尊は別受戒を行ったが、叡尊後、西大寺流の律宗では通受を主とし、徐々に別受を行わない傾向となった。
  34. 前掲36 ⑸p53。「渡航の志を確かなものとし一年かけて準備をした」。
  35. 小林正盛編『真言宗聖典』(森江書店 一九二六)P181。
  36. 不空金剛(七〇五~七四)、唐の高僧、四大訳経家の一人。金剛智・善無畏がもたらした密教を唐に定着させた。
  37. 末寺に関しては前掲29 p9、10などに掲載。
  38. 浄土宗海岸寺の縁起。表⑮。昭和四年(一九二九)、古記録等書写し一冊に纏めた。原典成立等はそれが筆記される資料のみ分かる。明忍関連の記述も散見される。
  39. 他、対馬藩士の中川延良の聞書集『楽郊紀聞1』(江戸後期)には、明忍が母からの手紙を読まず、文捨川と後に呼ばれるようになった川に捨てていたとの伝承が記される。(〔平凡社東洋文庫307一九七七〕p332。また、『対馬島誌 全』(対馬教育会一九二八)「海岸寺」の項には明忍の墓に言及(p539)、「古碑及記念碑」の項にも「俊正明忍律師之塔 厳原町久田道萱の壇なる国有林内に在り元禄十六年の建立にして撰文は天竜寺道澄月湛和尚なり」とある(P446)。
  40. 前掲29 キュウ26「明忍律師臨終瑞相 槇尾常住」。
  41. 前述の道依明全。「自誓受同戒録」の第二回受戒者として掲載。
  42. 慈雲智城(~一六六二)。西明寺第三回自誓受戒、九代衆首、正法寺住持。
  43. 浄土宗全書テキストデータベース J01-0052A12『仏説阿弥陀経』。
  44. 四分律をもとに戒律の行事を解説した道宣の名著。三巻。
  45. 一六六八?~一七二〇。野中寺で戒山慧堅の証明により自誓受戒。浄土律開祖・霊湛性澂や天台宗の霊空光謙、義瑞性慶などの自誓受戒証明もした。
  46. 教育社歴史新書(一九七八)p92・93。
  47. 西明寺には、密教で阿弥陀仏を本尊とする修法を書す『阿弥陀法』は蔵される。明忍の筆と思われる。(前掲29 25。巻子装。)浄土信仰に関する資料は残っていない。
  48. 当時、綱吉母桂昌院による寺院援助や、隠元隆琦の黄檗山万福寺建立(一六六一)など仏教興隆の機運もあった。
  49. 近世一六〇〇年代の特に後半以降、古代の往生伝『日本往生極楽記』『続本朝往生伝』『拾遺往生伝』の復刻・再版の後、『日本古今往生略伝』『緇白往生伝』『新聞顕験往生伝』『現証往生伝』『勢州緇素往生験記』『随聞往生記』『遂懐往生伝』等が新たに編集された。(前掲61による)。

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