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2024宗教文化講座
第18回「涙骨賞」受賞論文 本賞

不殺生と自死

大谷由香氏

3.東アジアにおける『梵網経』研究と自死

釈尊が涅槃に入られてから五百年ほど経った頃、釈尊が前世に行っていた慈悲にもとづく実践を通じて、釈尊が到達したのと同じさとりを得ようというムーブメントが起こった。いわゆる大乗仏教の興起である。前世の釈尊は「菩薩」と呼ばれていたから、大乗仏教の担い手にとって、菩薩こそ理想的な修行者像であった。菩薩として生きるためにはどうあるべきなのか、当時作られた仏典のいくつかには、その指針となる「菩薩戒」が示される。菩薩戒は東アジア仏教において、律蔵同等に仏教者が護持すべきことがらとして重視された。

四五〇~八〇年頃に中国で作成された『梵網経』は、東アジアを席巻した戒経の一つである。不殺生は『梵網経』に説かれる十重四十八軽戒の筆頭に挙げられる。

仏は仰った、「仏子よ、自ら殺し、人に教えて殺させ、方便して殺すことを讃歎し、[殺を]なすのを見て随喜し、乃至、呪い殺したならば、殺の因・殺の縁・殺の法・殺の業が存在する。乃至、一切の命ある者を、ことさらに殺してはならない。菩薩はまさに常住の慈悲心・孝順心を起こし、方便して衆生を救護しなさい。そうある[べきな]のに、自ら心をほしいままにし、意を快くして殺生したならば、これは菩薩の波羅夷罪である」と。1919『梵網経』下:仏言。「仏子、若自殺、教人殺、方便讃歎殺、見作隨喜、乃至呪殺、殺因・殺縁・殺法・殺業。乃至一切有命者、不得故殺。是菩薩応起常住慈悲心・孝順心、方便救護一切衆生。而自恣心、快意殺生者、是菩薩波羅夷罪(大正二四・一〇〇四中)

『梵網経』で「殺」の対象とされるのは、上述のとおり「一切の命ある者」である。しかし律蔵同様、これに自分を含めるか否かが明示されるわけではない。

現存最古の『梵網経』注釈書である智顗説灌頂記『菩薩戒本疏』2020村上明也氏は、本疏が六六四~六八六年間に智顗に仮托されて作成されたものであることを明らかにされている。しかし『菩薩戒義疏』は現存最古の『梵網経』注釈書である事実に変わりはない(村上明也「智顗説灌頂記『菩薩戒義疏』の成立に関する研究」『法華仏教研究』二五、二〇一七)。は、殺戒注釈部分で自死を取り扱わない。『菩薩戒本疏』のみならず、『梵網経』の注釈書の多くは殺戒注釈箇所で自死には触れない。これは第一重戒で誡められる「殺」にそもそも自死が想定されていないことを示すものだろう。

勝荘(~七〇三~七一三~)『梵網経述記』は、下記のように第一重戒の解釈部分において自死を取り扱い、自死が殺戒の適用外であることを説く。

問う。自ら[自らの]命を断つ者は、業道が成立するだろうか。

解釈するに、業は成立しない。『弥勒菩薩所問経論』に次のような問答がある。

「問う。どうして自ら命を断つ者は罪の果報を得ないのだろうか。答え。殺すべき者がいないからである。これは何を明らかにしようとしたものなのか。もし殺すべき他人がいたならば、生きている人を殺すことは殺生罪を得る。[しかし]自死は、殺すべき対象がいない。さらに殺す[他]者がいないだから、自ら命を断つことで悪の果報を得ることはない

問う。自死する身に「殺す」という心が起こり、人の命根を断ち、五陰を破壊し、人としてのあり方を捨てる[ということで]殺の業は成就している。どうして[自死は]殺生の罪の果報を得ないのか。答え。もしそうであるならば、阿羅漢は殺生の罪を得ることになるでしょう。どうしてかというと、死相[を感じとった]阿羅漢は自ら自身を傷つけて、自身の命を断つからである。彼の阿羅漢は命を断じたことの罪を獲るべきだが、彼は無罪である。彼は瞋恚の心を離れているからである」と。2121勝荘『梵網経述記』上:問。自断命者、成業道不。解云。不成業。故『弥勒所問論』云「問。以何義故、自斷命者、不得罪報。答。以無可殺者故」。此明何義。若有他人是可殺者、能殺生人、得殺生罪。以自殺者、無可殺境。即更無殺者故、自斷命、不得悪報。問。自殺身発起殺心、断人命根、破壊五陰、捨離人趣、殺業成就。何不得殺生罪報。答。若爾、阿羅漢人応得殺生罪。此明何義、以死相羅漢、自害其身、断己命故。彼阿羅漢、亦応獲得断命之罪、而彼無罪。以離嗔心故。(続蔵三八・六八六上~中)

このように勝荘は菩提流支訳『弥勒菩薩所問経論』(大正二九・二四九下に該当)を引用し、怒りなどに任せて他者を殺すことが殺戒の範疇であり、殺すべき他者が存在しない自死は殺に当たらないと説く。『梵網経』に説く殺戒の適用範囲に自死を含めない態度は、『梵網経』を注釈する上での基本的態度だったようで、中国・朝鮮半島で作成された『梵網経』注釈書のうち、第一重戒を解釈するにあたって自死に触れるものは、おしなべて自死を殺から除く態度を見せている。

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