野崎廣義とその哲学 ―西田幾多郎がもっとも愛した早世の弟子―
野崎は数学と共に、西洋神秘主義にも関心を広げようとしていた。西田は次のように書いている。
「余は野崎君とは始終遇って居たのであり、特にその二三日前、コバレフスキーの微積分を返しに来てスコトゥス・エリューゲナを借りて行つた君が突然此世を去らうとは誠に思ひがけないことであつた」(Nb183)
スコトゥス・エリューゲナ(エリウゲナ)とは9世紀の新プラトン主義の思想家であり、スコラ哲学の先駆者とも言われる1111エリウゲナの書は「J. S. Erigene, Über die Eintheilung der Natur」が前掲、『西田幾多郎全蔵書目録』28頁に記載されている。。数日前に借りただけなので、十分に読む前に他界したと思われるが、野崎が西洋神秘主義に関心を示したことは注目に値する。
智山大学で野崎に師事した高神は、「『究極は神である。神に固くつながれん為めに哲学を学ぶ』といった故人(=野崎)の語は、神と一致することを以て哲学の本領なりと思惟した、敬虔なるネオ・プラトニストの言葉のように、我々に強い共鳴を感ぜしむるものである
」(TKS1-86)と述べていた。高神は、野崎による神秘主義への関心を含め、その言わんとする所をよく理解していた様子である。
高神が受けた智山大学における最後の授業で、野崎は「哲学の最後の結論」が「『俺は俺だ』との自覚にあり
」(TKS1-239)と説明したという。高神は野崎の「俺は俺だ」を次のように解説した。
「げに『我考うるが故に我あり』Cogito ergo Sum とはこれまさしく近世哲学の曙光であった。一切を疑い、疑いつくして而もその疑う自身は疑い得なかったデカルトの最後の宣言は、いうまでもなく『俺は俺だ』の自覚に外ならぬ。我考うといった我は、恐らく迷の我であろう。我在りの我は一切を肯定した大なる我である。さればこの肯定せられたる大なる俺は、決して私共の小さい俺の対象となるべきものではない。まことに大きい俺は無始以来不生不滅の俺でもあったのである。自覚せる絶対なる俺は、時、空、因果を超越せる普遍的自我である。カントの所謂先験的自我とも称すべく、又スピノーザの本体ともいうべきものである。わが仏教にて法といい真如というも、畢竟この大きい俺に名づけた言葉であろう
」(TKS1-91)
高神は、デカルトもカントもスピノザも、仏教に引き付けて理解した。仏教は、これらの哲学を統一的に説明できる原理をすでに持っていると考えていたのである。高神は新義真言宗智山派の学僧であり、「迷いの我」が「大なる我」であるという思想は、即身成仏を下敷きにしていると考えられる。
高神は野崎のことを「畏友」(TKS1-98、238)とも言っており、智山大学を卒業した後も、しばしば会っていたという。年齢も5歳違いなので、既にお互いに刺激しあう双方向的な関係だったと想起される。「神に固くつながれん為めに哲学を学ぶ
」(TKS1-86)という野崎の言葉も、高神から影響を受けて野崎が発した言葉と考えられないだろうか。