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野崎廣義とその哲学 ―西田幾多郎がもっとも愛した早世の弟子―

坂本慎一氏
終わりに

本稿は冒頭で、若書きのままで終わった日本人哲学者を高く評価することができるのかと問うた。西田と関連づけながら、野崎について一定の評価はできたと思う。西田と同じ問題を追いかけ、西田より早く文法を重視した野崎の慧眼は、西田に取り入れられたと考えられる。弟子が育てた思想を取り入れることが非常に有効であることを最初に西田に気づかせたのも、恐らくは野崎である。そして野崎自身が、真言宗の僧侶であった弟子たちから謙虚に学んでいた様子であり、その姿勢自体が西田に影響を与えた可能性が考えられるのである。

一方で、本稿には野崎について扱えなかった面がたくさんあったことも事実である。

野崎が中学時代に一時的にせよ強く感化された高山樗牛の思想について、ここでは分析しなかった。第四高等学校と京都帝国大学の先輩であり、遺稿集の編者であった小笠原秀実との比較も有意義であると予想される。野崎は他にもプラトン、ヘーゲル、ベルグソン、アウグスティヌスに興味を示していたという。また野崎は浄土真宗にあまり関心を示さなかったが、大谷大学でも教壇に立った。野崎が智山大学で教えた弟子達との関係も、ここでは煩雑を避けるために最小限に留めた。

高坂正顕や務台理作らは、野崎が早世しなければ後年どのような立場で仕事をしていたのか、よく話し合ったという(Nb225)。これについても一定の推測が可能だが、今回は割愛した。事績についても、死後25年たってなぜ野崎の遺稿集が一般に販売されるようになったのか、いきさつは不明である。

本稿は、野崎の才能の一部を論じたのみであり、その全て評価し尽くせたとは到底言えない。西田がもっとも愛した弟子は、とても一つの論文で論じ尽くせる人物ではなかったからである。

※本文で使用した遺稿集、著作集等は以下のとおりである。
小笠原秀実編集兼発行『無窓遺稿』(1920年)(Naと表記、頁、以下同)
野崎廣義『懺悔としての哲学』(弘文堂書房、1942年)(Nb)
『高神覚昇選集』(歴史図書社、1977~78年)(TKS、巻数、頁、以下同)
『西田幾多郎全集』岩波書店、1965~66年(NKZ)
『智山学報』東洋文化出版、1983~84年(巻数は現本ではなく、東洋文化出版による複製版の巻数を示した。CG)
引用に際して適宜旧字を新字に直した。


  1. 序文で述べたように、野崎の遺稿集は小笠原秀実編集兼発行『無窓遺稿』(1920年)と野崎廣義『懺悔としての哲学』(弘文堂書房、1942年)がある。旧版に掲載された「哲学概論講案」(全166頁)が新版では割愛され、新版では旧版の序文とは別に新たに西田が序文を書いたほか、野崎三郎「亡兄の略年譜に代へて」、務台理作と高坂正顕の「後記」が付加された。本文では旧版をNa、新版をNbとし、両方に記載がある場合は煩雑を避け、入手しやすいNbの頁数のみを記述した。つまり、Naにしか記載がない「哲学概論講案」のみ、Naの表記を用いることとした。
  2. 大正3(1914)年4月開学の新義真言宗智山派私立大学智山勧学院は、京都市の智積院の境内に設けられた(文部省告示第45号)。昭和4(1929)年4月に東京府北豊島郡石神井村(現・練馬区上石神井)に移転して智山専門学校となり(文部省告示第193号)、昭和18(1943)年に大正大学に合流した(官報上は昭和19〔1944〕年9月、文部省告示第645号)。
  3. 小笠原秀実については、次の伝記を参照した。八木康敞『小笠原秀実・登――尾張本草学の系譜』(リブロポート、1988年)。
  4. 西田は日記に「常願寺」と書き(NKZ17-352)、高神は「浄願寺」(TKS1-241)と記している。京都市内の真宗大谷派の寺院として現存するのは「常願寺」(京都市上京区北横町)なので、ここでは西田の表記が正しいと判断した。
  5. 西田の手稿の整理について浅見洋・中島優太・山名田沙智子編『西田幾多郎未公開ノート類研究資料化 報告1(2017)』(石川県西田幾多郎記念哲学館発行、2018年)があり、以降順次刊行されている。初期西田の未整理資料の刊行であり、今後の進展が待望される。
  6. 「コバレフスキーの微分積分」とは「G. Kowalewski, Einführung in die Determinantentheorie; Mit einer Historischen Übersicht」であると考えられる。この書は山下正男編『西田幾多郎全蔵書目録』(京都大学人文科学研究所、1983年)262頁に記載がある。基本的には微積分の教科書であるが、巻末にライプニッツとニュートンへと至る数学史が掲載されており、あるいはこれが目当てだった可能性もある。
  7. 野崎の日記には「Hobhouse, Theory of real function」と記してあるが、「E. W. Hobson, The theory of function of a real variable and the theory of Fourier’s series」の間違いであると判断した。この書も前掲、『西田幾多郎全蔵書目録』90頁に記載がある。
  8. 野崎の日記には「園田助教授」と記してあるが、「園(正造)助教授」の間違いであると判断した。
  9. 筆者は西田の「場所」の論理とは、曼荼羅に由来する思想だと分析したことがある。坂本慎一「西田哲学の『場所』と高神覚昇――野崎廣義と共に――」『比較思想研究』第47号(比較思想学会、2020年)。
  10. 藤田正勝『人間・西田幾多郎――未完の哲学』(岩波書店、2020年)219頁。
  11. エリウゲナの書は「J. S. Erigene, Über die Eintheilung der Natur」が前掲、『西田幾多郎全蔵書目録』28頁に記載されている。
  12. 坂本慎一「近代真言宗の教学と西田哲学――那須政隆を媒介にして――」『比較思想研究』第46号(比較思想学会、2019年)参照。

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