「用いる」ことをめぐる柳宗悦の思想 ―「仏教美学」との関わりに注目して
さて、これまで深く論究されてこなかった点であるが、柳の晩年にあたる一九五〇年代、「用いられた美」をめぐる彼の思索は、新たな展開を見せている。以下に考察していきたい。
筆者が注目するのは、一九五八年初出の柳のエッセイ「疵の美」である。
このエッセイでも、柳はまず、器物の使用と「疵」(傷や汚れ)をめぐって、これまでと共通した考えを綴っている。ここでも彼は、造形上の瑕疵を厭いながら器物を所持したり使用したりすることは不自由なことであると評し、「完全たることが美しさの保証でもなく、疵物たることが醜さの条件でもない」1515柳宗悦「疵の美」(一九五八年初出)、熊倉功夫編『柳宗悦 茶道論集』岩波文庫、一九八七年、一八五頁と論じている。また、ここでも、ミロのヴィーナスやトルソーの手足が欠けている姿は「不完全」のままに「美」であると語り、以下のように記している。
抹茶盌など、使えば使うほど、味わいが深くなるのは、誰も経験するところ、それで茶人たちは、かかる茶盌の味わいを注意深く洗い過ごすことを致しません。歳月や使い込みの恵みを素直に受けます。例えば紺地の布の如き、ある意味では新〔さら〕の時よりも、洗うにつれて味わいを増すともいえます。〔略〕人為を越えた恵みであります。要するに、ある程度の痛み、疵や歪みなどは、美しさをいや増します。1616前掲注一五、一八六-一八七頁
ここで注目されるのは、経年変化による造形や使用痕が「人為を越えた恵み」として位置付けられている点である。一九五〇年代の柳が「人為を越えた」ものを語る際、それは当時の彼が最も注目していた「他力」(阿弥陀仏の力)を意味すると理解しなくてはならない。
よく知られているように、この時期の柳が重点的な思索の主題としたのは浄土宗・浄土真宗・時宗を中心とする日本の浄土仏教であった。中でも浄土真宗の在俗の篤信者である妙好人や、時宗開祖の一遍(一二三九-一二八九)の思想に現れた「他力」の問題に柳は強い関心を寄せて調査を行い、『妙好人因幡の源左』(衣笠一省共編、大谷出版社、一九五〇年)、『南無阿弥陀仏』(大法輪閣、一九五五年)といった代表的な著作をこの時期に執筆している。
これと並行して柳は、「仏教美学」と彼が呼んだ、器物の造形美と「他力」の連関を説く独自の思想を形成していく。上記の著作に先立つ一九四八年、柳は、仏典・大無量寿経の「無有好醜の願」(「第四願」)と呼ばれるくだりに触発され、『美の法門』(私家本、一九四九年刊行)を執筆する。「無有好醜の願」は、「設我得仏 国中人天 形色不同 有好醜者 不取正覚」(「設い我仏を得んに 国の中の人天 形色不同にして 好醜有らば 正覚を取らじ」)1717柳宗悦『美の法門』(一九四九年初出)、水尾比呂志編『新編 美の法門』岩波文庫、一九九五年、八八頁という経文で、一切衆生を済度しようという阿弥陀仏の誓願(四十八願)の一つである。これを柳は「仏の国においては美と醜との二がない」1818前掲注一七、八八―八九頁と解釈し、宗教的な観点から器物の造形美の成り立ちが語られたものであると考えた。
ここで記される「美と醜との二がない」(美醜未分)との記述には多様な解釈の余地があるものの1919例えば出川直樹は、柳の審美眼を評価しつつ、器物を審美する態度と「美醜未分」の思想は矛盾し合っており、「仏教美学」は論理的に破綻している、と批判した(出川直樹『民芸 理論の崩壊と様式の誕生』新潮社、一九八八年)。また鶴見俊輔は、『柳宗悦』(平凡社選書、一九七六年)の中で、「無有好醜の願」と出会った柳は過去の民藝運動が「美と醜の二元論的区分に時としてとらわれた側面をもっていたという反省」(二三七頁)をし、「柳の見地からいって俗悪な一個の茶碗があり、その持主が、柳をむかえて誠意をもってそれに茶をいれてすすめてくれたら、その時にその茶碗は美しいものになる」(二四〇頁)、と柳は発見したのだと解釈している。、近年の研究においても整理されつつあるように2020松井健『民藝の擁護』里文出版、二〇一四年、ほか、これは、柳が器物の美醜の問題に無頓着になった、といった意味ではなく、柳の想像した、造形美を生む作り手の内面の描写であるとまずは解すべきであろう。「作る者の心が二元に縛られない状態に置かれる時、作られる物はその発露として本有の美しさに輝いてくる」2121柳宗悦「『禅茶録』を読んで」(一九五四年初出)、熊倉功夫編『柳宗悦 茶道論集』岩波文庫、一九八七年、一 一 一頁といった端的な記述も見出されるように、自然素材の特性や偶発的な造形などを抑制しようとしない「不完全をも容れる」2222前掲注一七、九六頁態度、すなわち「美醜未分」の態度で作り手があってこそ、作り手の「自力」を超えた、造形美の源泉である「他力」が働く、という点を柳は力説している。作り手がこの状態にあるならば、「何をどう作ろうと、また誰が作り手であっても、品物は皆救われてしまって、凡てが美しさに受取られてゆ」くと彼は語り2323柳宗悦『法と美』(一九六一年初出)、水尾比呂志編『新編 美の法門』岩波文庫、一九九五年、二三七頁、「他力」が働いた造形物は美醜を超えた「不二の美」「不完全の美」を示すと語る。こうした原理を説く新しい学問としての「仏教美学」を一九五〇年代以降の柳は提唱し、その原理の例証と位置づけた古陶磁や仏画などを大規模に収集し日本民藝館に収蔵していった。また、この時期に、「仏教美学」を説く『無有好醜の願』(私家本、一九五七年)、『美の浄土』(私家本、一九六〇年)、『法と美』(私家本、一九六一年)などを続々と執筆している。
一九五〇年代の柳がこうした思想を展開していたことを踏まえるならば、エッセイ「疵の美」で彼が語る、茶碗のシミや布の褪色といった使用痕や経年変化(「不完全」の美)を引き起こす主体である「人為を越えた」ものは、「他力」と呼び替えて差し支えないものであるとわかる。