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「用いる」ことをめぐる柳宗悦の思想 ―「仏教美学」との関わりに注目して

佐々風太氏

「疵の美」の肯定は、この世界に対する深い肯定に他ならない。柳は以下のように語る。

その凡ては人間の意図ではなく、自然な避け得ぬ疵なのである。もとよりその度が過ぎては用を殺ぎ又美を痛めよう。だがこれを疵と嘆くのは人間の声であつて、自然からすれば必然な贈物である。疵の責任は自然が背負つてくれてゐるのである。ここが無量の味ひの由つて起る所以である。5151柳宗悦『丹波の古陶』(一九五六年初出)、『柳宗悦全集 第十二巻』筑摩書房、一九八二年、三五一 -三五二頁

柳は彼の言う「成仏した品物」を、浄土真宗の在俗の篤信者である妙好人になぞらえて「妙好品」とも呼んだ5252前掲注二三、二四二頁。このことに照らすとき、上記の言葉は、彼の妙好人論で登場する言葉遣い-例えば「人間には負いきれぬ業の科を、弥陀が背負って下さる」5353柳宗悦「源左の一生」(一九五〇年初出)、寿岳文章編『柳宗悦 妙好人論集』岩波文庫、一九九一年、二一四頁-と確かに呼応するものであることがわかる。柳の語る「自然が背負つてくれてゐる」という言葉は、「阿弥陀仏が背負つてくれてゐる」と読み替えて差し支えない。そして柳にとって「疵」とは、人間の避けがたい「業」や「罪」がかたちを取った存在であった。それがそのままに「美」に転じる「奇蹟」5454前掲注四二、三三頁が、一九五〇年代の晩年の柳が、使用痕や経年変化を含む「疵の美」に見たものであった。

柳は、「仏教美学」の嚆矢である『美の法門』の中でこのようにも語っている。

 考えると美醜というのは人間の造作に過ぎない。分別がこの対辞を作ったのである。分別する限り美と醜とは向い合ってしまう。そうして美は醜でないと論理は教える。〔略〕この世に止まる限り、この法則に間違いはない。だがこの世が世の凡てであろうか。一元の世界はないものであろうか。〔略〕

 凡ての人間は現世にいる限りは誤謬だらけなのである。完全であることは出来ないし、また矛盾から逃れることも出来ない。しかしそれは本来の面目ではないはずである。元来は無謬なのである。5555前掲注一七、九三・九八頁

「美は醜でない」という「この世」の論理を超越した様相、「誤謬だらけ」でありながら「無謬」の「他力」が現れた様相を、晩年の柳宗悦は器物の傷や汚れに見た。その一部としての使用痕や経年変化による造形は、言うなれば「他力」が「用いる」ことによって生まれる造形として、「仏教美学」を形成する柳に理解されていったのである。

注記
*引用文中の旧漢字は新漢字に改めた。ただし、仮名遣いは原文のままとした。
*引用文中の〔 〕は引用者による注記である。
*本研究では、現在地方の土産品などを指す際に一般的に用いられる「民芸」の語と区別するため、柳宗悦らが見、指していた造形物については「民藝」と表記する。


  1. 柳宗悦「工藝の美」(一九二七年初出)『民藝四十年』岩波文庫、一九八四年、一〇八頁
  2. 柳宗悦「作物の後半生」(一九三二年初出)『茶と美』講談社学術文庫、二〇〇〇年、八七頁
  3. これは浅川巧(一八九一-一九三一)、濱田庄司ら、民藝運動同人たちのあいだでも共有されていた考え方であった。浅川は、『朝鮮の膳』(一九二九年初出)の中で、「正しき工芸品は親切な使用者の手によって次第にその特質の美を発揮するもので、使用者は或意味での仕上工とも言い得る。〔略〕この頃の流行は器物が製作者の手から離れる時が仕上ったときで、その後は使用と共に破壊に近づく運命きり持っていない。〔略〕工芸品真偽の鑑別は使われてよくなるか悪くなるかの点で判然すると思う。」と記している(浅川巧『朝鮮民芸論集』岩波文庫、二〇〇三年、一七-一八頁)。濱田は、「焼物には二つの生命がある。初めは窯から出た時、次はその焼物を持った人の使い方による」(瀧田項一『昨日在庵今日不在-陶匠濱田庄司の残した言葉』下野新聞社、二〇〇二年、七四頁)という言葉を残している。
  4. 前掲注一、一〇七-一〇八頁
  5. その多くは日本民藝館で現在も頻繁に展示されており、実見することができる。また、柳が監修した『民藝図鑑』第一巻-第三巻(日本民藝協会・田中豊太郎編、宝文館、一九六〇-一九六三年)や、日本民藝館監修『民藝大鑑』第一巻-第五巻(筑摩書房、一九八一-一九八三年)等の図録でも確認することができる。
  6. 日本民藝協会編集部「『柳家の食卓』のこと」、日本民藝館協会編『民藝』(七三一号・二〇一三年十一月号)日本民藝協会、二〇一三年、八頁
  7. 濱田庄司《鉄砂土瓶》(日本民藝館蔵)。柳宗悦編『濱田庄司作品集』(朝日新聞社、一九六一年)等に図版が掲載されている。濱田も“HAMADA, Potter”(B. Leach, Kodansha International Ltd., 1975) の中でこの作品について、‘This piece has discoloured and mellowed with daily use just like a teabowl. Yanagi used this tea-pot for years.’(p.302) と述べている。また、類似の素材を用いた作品について、‘The bottom of this yunomi is left rough, and this will become naturally and pleasantly discoloured with use.’(p.298) などと述べていることから、彼が、使用痕が造形に寄与するところまで考えて施釉や焼き上がりを調整していたことがうかがえる。
  8. 日本民藝館監修『柳宗悦展―暮らしへの眼差し―』NHKプロモーション発行、二〇一一年、一二二頁
  9. 濱田庄司「柳宗悦の『眼』」(一九六一年初出)『無尽蔵』朝日新聞社、一九七四年、二六九頁
  10. 柳宗悦「蒐集について」(一九三二年初出)『茶と美』講談社学術文庫、二〇〇〇年、一二一-一二三頁

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