PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
第20回「涙骨賞」を募集
PR
墨跡つき仏像カレンダー2024 第20回「涙骨賞」を募集
第19回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞

「用いる」ことをめぐる柳宗悦の思想 ―「仏教美学」との関わりに注目して

佐々風太氏

  1. 前掲注十、一二二頁
  2. 前掲注十、一二三頁
  3. 鶴見俊輔『柳宗悦』平凡社選書、一九七六年
  4. 大沢啓徳『柳宗悦と民藝の哲学―「美の思想家」の軌跡―』(シリーズ・人と文化の探求 十五)ミネルヴァ書房、二〇一八年
  5. 柳宗悦「疵の美」(一九五八年初出)、熊倉功夫編『柳宗悦 茶道論集』岩波文庫、一九八七年、一八五頁
  6. 前掲注一五、一八六-一八七頁
  7. 柳宗悦『美の法門』(一九四九年初出)、水尾比呂志編『新編 美の法門』岩波文庫、一九九五年、八八頁
  8. 前掲注一七、八八―八九頁
  9. 例えば出川直樹は、柳の審美眼を評価しつつ、器物を審美する態度と「美醜未分」の思想は矛盾し合っており、「仏教美学」は論理的に破綻している、と批判した(出川直樹『民芸 理論の崩壊と様式の誕生』新潮社、一九八八年)。また鶴見俊輔は、『柳宗悦』(平凡社選書、一九七六年)の中で、「無有好醜の願」と出会った柳は過去の民藝運動が「美と醜の二元論的区分に時としてとらわれた側面をもっていたという反省」(二三七頁)をし、「柳の見地からいって俗悪な一個の茶碗があり、その持主が、柳をむかえて誠意をもってそれに茶をいれてすすめてくれたら、その時にその茶碗は美しいものになる」(二四〇頁)、と柳は発見したのだと解釈している。
  10. 松井健『民藝の擁護』里文出版、二〇一四年、ほか
  11. 柳宗悦「『禅茶録』を読んで」(一九五四年初出)、熊倉功夫編『柳宗悦 茶道論集』岩波文庫、一九八七年、一 一 一頁
  12. 前掲注一七、九六頁
  13. 柳宗悦『法と美』(一九六一年初出)、水尾比呂志編『新編 美の法門』岩波文庫、一九九五年、二三七頁
  14. 前掲注一五、一八三頁
  15. 松井健「晩年の柳宗悦と古丹波-末期の目は何を見たのか」(丹波古陶館学芸部編『丹波古陶館開館五十周年記念 丹波-いきる力が美をつくる』丹波古陶館、二〇二〇年)、佐々風太「無地の器の利他-柳宗悦の蒐集と思想を手がかりに」(『コモンズ』(第一号)東京工業大学・未来の人類研究センター、二〇二二年)、ほか
  16. 白土慎太郎「解題」、日本民藝館学芸部ほか『日本民藝館所蔵 仏教絵画』日本民藝館、二〇二二年、六四頁
  17. 柳宗悦「物と法」(一九五五-一九五六年初出)、『柳宗悦全集 第十八巻』筑摩書房、一九八二年、九一頁
  18. 柳宗悦「丹波の古壺に寄す 茶器美への一考察」(一九五八年初出)、『柳宗悦全集 第十二巻』筑摩書房、一九八二年、四四〇頁
  19. 前掲注二八、四四〇-四四一頁
  20. 前掲注二八、四四一頁
  21. 前掲注二三、二一六頁
  22. 前掲注二三、二一四頁
  23. 前掲注二七、九一頁
  24. 前掲注二七、八八頁
  25. 前掲注二三、二〇七-二一六頁
  26. 出川直樹『民芸』新潮社、一九八八年、一〇六頁、ほか
  27. 柳宗悦『工藝の道』(一九二八年初出)講談社学術文庫、二〇〇五年、二二六頁
  28. 前掲注二、八八頁
  29. 松井健『民藝の機微』里文出版、二〇一九年、一二三頁
  30. 柳宗悦『南無阿弥陀仏』(一九五五年初出)、『南無阿弥陀仏 付心偈』岩波文庫、一九八六年、四〇頁
  31. 前掲注四〇、四五頁
  32. 柳宗悦「仏教美学の悲願」(一九五八年初出)、水尾比呂志編『新編 美の法門』岩波文庫、一九九五年、四八頁
  33. 前掲注四二、一四頁
  34. 様々な「物」と触れ合う中で柳に生じた感覚の変化について、柳兼子が以下のように回想しており興味深い。「〔引用者注・新婚当初の宗悦は〕きれい好きで手でも始終アルコールでふいて、神保町の古本屋から古本を買ってきても、一枚、一枚を、脱脂綿かガーゼにアルコールをもって湿してふいてるくらい」であったが、「何年かたって、古ものを探すようになったら、もうねえ……。呉服屋の裏に引っかかってた、子供のお寝しょしたふとんをはずさせて、もらってきて、これ洗濯しろ、なんて言われたりしてね、まるで違ってきちゃったんです。〔略〕大変ですよ。ほこりは出るしねえ。そりゃね、皆さんの想像にならないくらいでしたよ」(水尾比呂志『評伝 柳宗悦』ちくま学芸文庫、二〇〇四年、五三四頁)。「物」と出会い触れ合っていく過程は、潔癖症だった柳の身体の感覚に著しい変化をもたらしたのであろう。この点について指摘したのは、管見の限り、松井健(『柳宗悦と民藝の現在』吉川弘文館、二〇〇五年)、田中雍子(「柳先生と日本民藝館」、日本民藝協会『民藝』六四四号・二〇〇六年八月号、日本民藝協会、二〇〇六年)のみであるが、彼の思想形成を検討する際、見逃すことのできないエピソードであるように思われる。
  35. 阿満利麿『柳宗悦 美の菩薩』(シリーズ・民間日本学者 五)リブロポート、一九八七年、二〇六頁
  36. 阿満利麿「解説 『美の法門』を理解するために」、日本民藝館監修『柳宗悦コレクション 三 こころ』ちくま学芸文庫、二〇一 一年、四一八頁
  37. 柳宗悦「名古屋大会への御挨拶」(一九五九年初出)、『御挨拶』日本民藝協会、二〇〇四年、八頁
  38. 小林多津衛「丹波の古陶の大展観」、東京民藝協会編『民藝』(四八号・一九五六年十二月号)東京民藝協会、一九五六年、四九頁。なお、柳は「神」という語も「他力」「仏」「自然」という語と原則的に同義語として用いており、「いたずらに宗派に滞ってその文意を受取ることがないように切望する」(前掲注一七、一 一三頁)と述べている。
  39. 前掲注一七、九二頁
  40. 近年の研究では、佐藤光『柳宗悦とウィリアム・ブレイク 環流する「肯定の思想」』東京大学出版会、二〇一五年、などがある。
  41. 柳宗悦『丹波の古陶』(一九五六年初出)、『柳宗悦全集 第十二巻』筑摩書房、一九八二年、三五一 -三五二頁
  42. 前掲注二三、二四二頁
  43. 柳宗悦「源左の一生」(一九五〇年初出)、寿岳文章編『柳宗悦 妙好人論集』岩波文庫、一九九一年、二一四頁
  44. 前掲注四二、三三頁
  45. 前掲注一七、九三・九八頁

このエントリーをはてなブックマークに追加