近代日本における合掌観の変遷
二 明治の仏教者と合掌
本章では、安政生まれで主に明治時代に活躍した三名の仏教者に焦点を当て、彼らの合掌観を見ていきたい。
まず、曹洞宗僧侶の高田道見(一八五八~一九二三)は、一八九四(明治二七)年二月、仏教雑誌『通俗仏教新聞』を発刊するなど文筆伝道に努め、晩年は釈迦信仰を中心とする法王教主義を唱えた。『通俗仏教新聞』内に設置された読者からの疑問に応答するコーナーを書籍化した『通俗仏教疑問解答集』に合掌に関する質問があり、髙田の合掌観が垣間見える。岐阜市在中の蜻舟生は、「 神 仏 を 礼拝祈 念 するに合掌するは 抑 も如何なる 理由 に起因するや1313高田道見解答、薄永文雄編『通俗仏教疑問解答集 第二篇』通俗仏教館、一八九七年、二七頁。」と問い、髙田は、こう答えた。
合掌はもと天竺の礼方にして 拱手 は支那の礼則たり。西洋は手を挙るを以て礼とし、日本は手を膝に着け若くは地に着くるを以て礼とす。故に合掌は仏菩薩を礼するに宜しうして神祗を敬ふに宜しからす。神祗の宝前にては拍手を為すべく、仏前にては必ず合掌を為すべし(仏前にて拍手を為し神前にて合掌する人あれども、そは事を 弁 へざるの誤なり)。合掌は仏門に於ける恭敬の至極せるものなり1414同上。。
高田は、天竺(インド)の合掌、支那(中国)の拱手、西洋の挙手、日本の膝または地に手をつける行為を挙げ、それぞれが礼法の一つであると述べる。仏教は、インド発祥であり、仏菩薩に対する合掌と、神社の宝前での拍手を区別すべきと注意する。引用以下の文章では、「恭敬の至極」となった理由として、智顗(五三八~五九七)の『観音義疏』、『法苑珠林』、『釈氏要覧』、元照(一〇四八~一 一 一六)の『四分律行事鈔資持記』に見られる合掌の記述を解説した。最後に道元(一二〇〇~一二五三)の『永平清規』内に収録された「 赴 粥 飯法 」から「合掌は 指頭 当に 鼻端 に対すべし、 頭 低 るれば指頭も 低 る、 頭 直 なれば指頭も 直 なり頭若し少しく 斜 なれば指頭も亦少しく 斜 なり、其腕をして 胸襟 に近つかしむること莫れ、 其 臂 をして脇の下に着かしむること莫れ1515同上、二八頁。道元、中村璋八・石川力山・中村信幸全訳注『典座教訓・赴粥飯法』講談社学術文庫、一九九一年、一四九~一五三頁、「三 僧堂への入り方」に合掌方法の記載がある。本稿では、注13資料、二八頁の記載を引用した。」を挙げ、この合掌法に則らないと敬を失すると回答している。
次に、真宗大谷派寺院の出身で、東京帝国大学卒業後、東洋大学の前身となった哲学館を創設し、妖怪研究などでも知られる井上円了(一八五八~一九一九)の合掌観を見たい。『円了漫録』は、円了が平素目に触れ、心に浮んだ種々雑多の事柄を収録したものであり、合掌に関して以下の記述がある。
(十四)合掌して人を迎ふ
北国は仏教国なり。仏教国なるを以て人を迎ふるに合掌の敬礼を以てす。先年余か能州を巡回せし時、洋服を着し長髪を被むるにも拘わらず、途中往々老婆が走り出てゝ、余に向 ひ て合掌するを見る。本年越前を巡回し、池田地方に入るや、児童 奔 り来りて余に向て合掌するを見る。以て仏教繁盛の一斑を知るべし。而して老婆の合掌より無我無心の児童の合掌は誠に殊勝に感じたり1616井上円了『円了漫録』哲学館、一九〇三年、一四頁。。
北陸は、真宗門徒が多い「真宗王国」として有名であるが、人を迎える際に合掌の敬礼を行っている。能登(石川県)を巡回した際、洋服を着て、長髪である一般的な僧侶の見た目でない円了に対して、走って向かってきた老婆が合掌したという。また、越前(福井県)では子供が走り寄ってきて、合掌したといい、円了は、児童の打算のない気持ちの合掌に感心している。
最後に挙げるのは、一九二三(大正一二)年に増上寺法主となり、関東大震災の遭難横死者のために飛行機に搭乗し、読経念仏散華回向を実施するなど、民衆に慕われた浄土宗道重 信教 (一八五六~一九三四)の合掌観である。以下は、道重と『読売新聞』の記者翠雨生の対談内容が連載された「玄関と応接室」内の記述である。
(道重信教は)扇子と 珠数 は常に離さず持つて居られる。両手で物をすくふやうな風をして挨拶され、談話の途切れ/\に合掌される。これは仏家の法則で、此合掌こそ西洋の握手、日本の叩頭と同じく客に対して尊敬親愛の意を表はすのださうだ1717翠雨生「玄関と応接室(一七)」『読売新聞』一九〇八年二月一五日、朝刊五頁。。
扇子と数珠を持った道重が会話の合間に行う合掌は、西洋の握手や、日本の叩頭と同様に客に対する尊敬親愛の意を示していると、説明を受けた翠雨生は述べている。
以上、安政生まれで主に明治期に活躍した仏教者、高田道見、井上円了、道重信教の合掌観の一端を見てきた。彼らの合掌に対する意見は、「恭敬の至極」「仏教に熱心であることの指標」「尊敬親愛」等であり、仏教者や仏教徒の礼法としての合掌観を有していた。