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第21回涙骨賞募集 墨跡つき仏像カレンダー2025
第20回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞
やまね・いぶき氏=1994年生まれ。岡山県出身。東京大大学院総合文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は初期キリスト教・教父研究。日本学術振興会海外特別研究員(受入研究機関:ダラム大神学・宗教学研究科)。第30回三田文學新人賞(評論部門)佳作入選。

無心と憐れみの霊性に基づくケアと連帯

――宗教知の協働に向けた聖書・教父思想の再解釈

山根息吹氏

はじめに

⑴ 本論の背景・目的・流れ

どうすれば私は、他者の悲しみや痛みに虚心に寄り添うことができるのか。この問いは、宗教・宗派の枠組みや信仰の有無を超えて、ケアや社会的連帯を必要とする現代社会の中で切実に問われている問題である。本論は、仏教とキリスト教がこの共通の課題に向けて協働するための基盤として、仏教的・東洋的「無心」という視点から、聖書思想および初期キリスト教の教父思想における憐れみ・愛の霊性を再解釈することを試みる11正教会、カトリック、聖公会、プロテスタント諸派で神学的立場は異なるが、そのなかで本論は、キリスト教諸派の対話の基盤になり得る聖書思想を中心的に論じ、その宗教性の実践的展開の可能性を具体的に示すために、教会分裂以前の初期キリスト教の教父思想を取りあげる。

仏教的・東洋的「無心」の宗教知に基づいて現代的ケアの課題に取り組む方向性を示す共同研究として、坂井祐円と西平直を中心とする『無心のケア』(2020年)が注目される22『無心のケア』、坂井祐円・西平直編、晃洋書房、2020年。。浄土真宗の僧侶でカウンセラーとしての実践経験を持つ坂井は、認識や意識を人間の人格の中心と考える西欧的人間理解を前提にするケアの倫理においては十分に位置づけることが困難であった、認知症を持つ人や重度の精神障がい者との関係におけるケアを、仏教的・東洋的人間理解から捉えることを可能にする画期的な視座を提示している33後述する通り坂井が著作の中で取り上げている例は、重病のために通常のコミュニケーションが困難な患者との関わりをめぐる問題であるが、それは、認知症を持つ人や重度の精神障がい者との共感、人格的交わり、ケアリングの関係を十分に捉えることができていない従来の西欧的人間論を問い直すスウィントンやキテイの研究と接続し得るものである(John Swinton, Dementia: Living in the Memories of God. SCM Press, 2017.: Eva Kittay, Learning from My Daughter: The Value and Care of Disabled Minds. Oxford UP, 2019.)。

その重要性を示すために坂井のケア論を、ケアの倫理の草分けとされるノッディングズの理論と比較したい。ノッディングズは、「Xがわたしのケアリングを理解しないとき、わたしは、Xをケアするとは言えない」と主張する44ネル・ノディングス『ケアリング 倫理と道徳の教育―女性の観点から』、高山善康他訳、晃洋書房、2008年、107頁。。ここでのノッディングズの意図は、ケアが受け手によって受容される相互性を強調する点にあるが、ケアの受容が意識のレベルにおける認識と結びつくため、「X」(ケアの受け手)が「精神病患者」などでケアが認知できなかった場合、「わたしのケアリングを、Xに伝えるどんな方法もないかもしれない」という結論に至ってしまう55同書、108頁。

それに対して、坂井は、「言葉として意思表示することができない」状況にあり「通常のコミュニケーションすらもままならない」重病の患者の介護にあたった学生がレポートで述べる困惑を受けとめつつ、その不全感の原因が、「感情や思考や認知といった〈意識のレベル〉で相手に共感しようとする」点にあるのではないかと指摘する66坂井祐円「無心のケアが開かれるとき」、『無心のケア』、219頁。。その上で、「無心のケア」は、「相手と意識のレベルでつながることはできなくても」「相手も自分も共に生きている〈存在のレベル〉において」「共感性」を持続させることができる人間の可能性を主張する77同書、219頁。。このような坂井の研究は、ケアをめぐる喫緊の課題に対して、意識より深い次元で人間を捉えることのできる宗教的知の遺産が果たし得る役割の重大さを理解させる重要な一例である。

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