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第21回涙骨賞募集 2024宗教文化講座
第20回「涙骨賞」受賞論文 奨励賞
たけい・けんご氏=1985年、神奈川県生まれ。駒澤大大学院人文科学研究科博士後期課程修了、博士(仏教学)。論文に「近代日本における『施餓鬼』の諸相」(『宗教と社会』24)、「近代日本における禅会の普及に関する考察」(『近代仏教』26)などがある。

近代日本における合掌観の変遷

武井謙悟氏

一 はじめに

「合掌」は、顔や胸の前で両手を合わせる身体的動作の一つである。近刊の『岩波 仏教辞典 第三版』を繙くと、インドで古くから行われてきた敬礼法の一種であり、インド、スリランカ、ネパールなど南アジア諸国では、世俗の人々が出会ったときには、互いに合掌し、いわば日本のお辞儀に相当するという。他方、中国・朝鮮・日本などでは、仏教徒が仏や菩薩に対して礼拝するとき合掌を用いる、と説明されている11中村元・福永光司・田村芳朗・今野達・末木文美士編『岩波 仏教辞典 第三版』岩波書店、二〇二三年、一五六~一五七頁。なお、本項目の後半の記述は、合掌が示す教理上の意味、合掌の形式について解説している。本辞典は、第三版で近代仏教に関する研究者が多数参加しているものの、合掌の近代に関する記述はされていない。

日本国内では、後者の仏に対する礼拝や僧侶の行として合掌が見られるのみならず、南アジアと同様に、仏教徒でなくとも、ちょっとしたお礼や謝罪のときに合掌するという光景を一度は見かけたことがあるだろう。そしてもう一つ忘れてはならない点は、食事の前後に合掌するという場面である。テレビドラマの食事風景などは、多くの場合、食前に合掌をし、食べ始めるという映像が流れ、合掌=食事の合図と感じる方も多いはずだ。

このように日本において合掌が用いられる場合は主に、①仏として・仏に対して(名号、仏像、僧侶、死者)、②礼として(挨拶、感謝、謝罪)、③食事に対して(食前、食後)という三つが挙げられる。合掌を仏教儀礼とするならば、最も一般に普及した儀礼の一つと言えるだろう。しかし、合掌がどのように語られ、普及していったのか、という点は明らかになっていない。本稿は、近代日本における合掌に関する言説、雑誌・新聞記事を事例として、合掌の意味合いの変遷を検討することを目的とする。本題に入る前に、先行研究を概観し、本稿の問題意識を明確にしたい。

渋川敬応(一八九七~一九八〇)は、仏教大学(現龍谷大学)を卒業したのち、大阪仏教学院、本願寺伝道院などで講師をしつつ、大阪箕面の浄土真宗本願寺派光明寺の住職を務めた人物である。渋川は、四〇年以上合掌を研究し、出版や講演を行っている。一九三三(昭和八)年に『合掌の研究』を上梓した際には、「本書を研究と呼ぶには、多くのためらひを感じてゐる。然し、自分の寡聞狭見の範囲に於ては、合掌に関する体系的組織的考察の未だ発表されたことを知らない22渋川敬応『合掌の研究』顕真学苑出版部、一九三三年、三頁。」と、謙遜しつつも本格的な合掌研究の端緒であると述べている。

浄土真宗本願寺派勧学、大政翼賛会調査委員を務めた梅原真隆(一八八五~一九六六)が本書に寄せた序文で、「顕密をたづね、浄教にわたりて合掌の全貌を如実に描き出されたるこの一篇は合掌研究の啓拓として記録せらるべきである33梅原真隆「序」同上、頁記載なし。」と評価するように、経典を用いて一般的考察と教理的考察を行ったのち、密教系、浄土系と宗派横断的に合掌を検討している。『合掌の研究』以降も渋川は合掌関連の研究の刊行と雑誌掲載を続け44『仏教美術と合掌の理解』仏教青年会聨合本部、一九三五年、『合掌読本』全六篇、興教書院(想華篇一九三五年、教理篇一九三六年、仏像篇一九三七年、聖話篇一九三九年、教養篇一九四一年、聖典篇は未確認)、「真宗教学に於ける合掌の体系と展相」『顕真学報』二二号、一九三九年四月~三一号、一九四〇年一 一月の間に七回掲載など。、七〇代でエッセイ『合掌一日一想』(永田文昌堂、一九七〇年)を出版した。

渋川の同世代では、臨済宗大学(現花園大学)教授であった伊藤古鑑(一八九〇~一九七二)が、某寺にて二日間、四回にわたり行った、「合掌と念珠とに依る信仰」という講演に、十二合掌の印図の収録、文献の記載および加筆を行った、『合掌の仕方と念珠のお話』(森江書店、一九三三年)がある。本書第一篇が「合掌のお話」であり、全八章にわたって考察を行い、特に合掌の種類や供養の方法など実践面への言及が特徴である。合掌と念珠という仏教では身近であるものの、研究の少ない題材を扱った貴重な成果であることから、『合掌と念珠の話―仏教信仰入門―』(大法輪閣、一九八〇年)として改訂新版が刊行され、同書は、二〇〇四(平成一六)年にはオンデマンド版となった。

現代の研究としては、宗教学者の山折哲雄が「合掌はいうまでもなく、胸もとで掌をあわせる。掌をあわせるという行為は、そのまま頭を下げて礼拝する行為へと無理なく接続していくだろう。つまり合掌から低頭への移行は、心理的にも姿勢の面からいっても、ごく自然な運動なのだ55山折哲雄『「坐」の文化論』講談社学術文庫、一九八四年、七五頁。」と合掌の身体性に言及している。

他方、龍谷大学卒業後、出版社大法輪閣で勤務し、浄土真宗本願寺派布教師となった谷口幸璽は、仏教雑誌『大法輪』に「慈愛の光は合掌から」として一九八六年五月号から一九八七年一 一月号まで連載した記事をもとに、『合掌の話 手を合わせると…』(探求社、二〇一二年)を刊行した。あとがきによれば、本書は諸宗教から合掌についての文献を集めた「合掌百科66谷口幸璽『合掌の話 手を合わせると…』探求社、二〇一二年、八九頁。」というべき内容であり、各仏教宗派やキリスト教、神道の合掌に関するエピソードが綴られている。また、「合掌の布教使」として先述した渋川敬応を挙げたり77同上、四二~四三頁。、本稿で後述する『大法輪』による食前食後の合掌の啓蒙活動88同上、一四頁。を扱ったりしており、近代に関する内容も含まれている。

以上、合掌に関する研究を概観した。経典に見られる合掌の記述、図像、印契、身体性に関する考察が中心である。近代の合掌に関しては、谷口が『大法輪』の記事を扱っているものの、それ自体が近代の成果である渋川、伊藤の研究を位置付け、合掌を検討する試みはなされておらず、本稿の目的に意義はあるだろう。しかしながら、最後に、本稿と関連する問題意識として、黙禱儀礼に焦点を当てた宗教社会学者粟津賢太の論考を挙げたい99粟津賢太「なぜ私たちは黙禱するのか?――近代日本における黙禱儀礼の成立と変容」蘭信三・石原俊・一ノ瀬俊也・佐藤文香・西村明・野上元・福間良明編『シリーズ戦争と社会5 変容する記憶と追悼』岩波書店、二〇二二年。。本論考は、近代に誕生した黙禱という追悼儀礼が、「いかに生まれ、導入され、社会に広まり、その過程で変容していったのか1010同上、二一六頁。」を考察するものである。いわゆる「創られた伝統」を再考する研究1111代表的な成果として、歴史的な観点からアプローチし、国民、国家、民族の実定的なイメージを象徴する伝統もまた近代国家形成期の産物にほかならないと指摘したE・ホブズボウム・T・レンジャー編著、前川啓治・梶原景昭他訳『創られた伝統』紀伊國屋書店、一九九二年(原著一九八三年)が挙げられる。に位置し、歴史学者平山昇による初詣研究1212平山昇『初詣の社会史――鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』東京大学出版会、二〇一五年。等にも同様の視点が見られる。本稿で論ずる合掌は古くから実践されている「伝統」であるが、近代における変遷を検討する点は、粟津や平山の視点と共通している。

以下本論では、明治時代の伝統仏教教団で活躍した高田道見・井上円了・道重信教の合掌観、在家仏教を展開した田中智学の合掌観と合掌にまつわる雑誌刊行、食事の際の合掌を提案した泉道雄と高島米峰の主張、仏教雑誌『大法輪』の合掌推進運動を取り上げ、近代における合掌の意味づけの変遷を検討してみたい。

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