1897(明治30)年 | 10月1日 真渓涙骨が「教学報知」として創刊 宇治郡山科村日岡(現在の京都市山科区)に本社 |
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1901(明治34)年 | 4月15日付 538号から日刊発行 |
1902(明治35)年 | 1月15日付 「中外日報」と改題発行 |
1904(明治37)年 | 10月、本社を粟田口三条に移転 |
1907(明治40)年 | 6月、本社を東山・妙法院前側町に新築移転 |
1909(明治42)年 | 9月、東京支局を開設 |
1911(明治44)年 | 3月16日付から2ヵ月間、夕刊発行 |
1914(大正3)年 | 4月、「編集日誌」を連載開始(昭和31年4月まで) |
1919(大正8)年 | 6月、「欧文号」を発行 8月、経営に行き詰まり、3日付で廃刊を宣言 9月5日付から復刊 |
1921(大正10)年 | 1月、文語体から口語体に改める |
1923(大正12)年 | 10月、月刊誌「宗教と思想」創刊(大正14年4月まで発行) |
1926(大正15)年 | 9月、本社を京都市東山区東川端七条(現在の東山 区一橋宮ノ内町)に新築移転 |
1933(昭和8)年 | 2月、京都で10,000号記念祝賀会 |
1936(昭和11)年 | 2月、日本新聞協会(当時)に加盟 4月、新工場を増築、輪転機印刷を開始 |
1944(昭和19)年 | 毎号2ページで発行 |
1947(昭和22)年 | 3月、物資不足で日刊から週3回・2ページ発行に |
1953(昭和28)年 | 1月、日刊・4ページ発行に戻る 2月、「株式会社中外日報社」へ組織変更 |
1955(昭和30)年 | 10月、京都で創刊60周年記念祝賀会 |
1956(昭和31)年 | 4月14日、真渓涙骨社主死去(享年87歳) |
1957(昭和32)年 | 1月、天台宗僧侶で作家の今東光氏が社長就任 |
1958(昭和33)年 | 4月、司馬遼太郎の小説「梟のいる都城」連載(後に「梟の城」で第42回直木賞受賞) |
1964(昭和39)年 | 11月、ダルマパーラの100年祭記念で第1回「インド仏跡参拝団」を派遣(昭和41年から毎年実施) |
1976(昭和51)年 | 2月、週6回から週5回発行に |
1977(昭和52)年 | 2月、増ページし、週3回の発行に |
1985(昭和60)年 | 11月、創立90周年記念事業で「第1回日中仏教学術会議」を開催(平成15年まで全10回開催) |
1988(昭和63)年 | 4月、週5回の発行に |
1992(平成4)年 | 4月、本社を南区東九条東山王町に移転 |
1994(平成6)年 | 1月、週3回の発行に |
2004(平成16)年 | 「涙骨賞」を創設 |
2008(平成20)年 | 3月、創刊110年記念講演会(講師は梅原猛氏、山折哲雄氏)と祝賀会を開催 |
2011(平成23)年 | 「宗教文化講座」(年4回)を開始 |
2012(平成24)年 | 4月、創刊115年記念特別講演会(梅原猛氏、瀬戸内寂聴氏、山折哲雄氏のてい談) |
2014(平成26)年 | 4月、週2回の発行に(平成29年3月まで月2回別刷り版を発行) |
2016(平成28)年 | 「涙骨賞」に実践部門を新設 |
2017(平成29)年 | 10月、創刊120年記念講演会(山折哲雄氏、玄侑宗久氏の対談)と祝賀会を開催 |