《宗教とAI⑥》「コンテキスト」育てる責任(2/2ページ)
大阪医科薬科大特務講師 佐々木斎生氏
一方、すでに組織の中にいる上の世代には、実績や人間関係、周囲からの信用があります。それらは長い時間をかけて、業務の成果だけでなく、その過程やさまざまな出来事を周囲と共有してきたことで形づくられたものです。
若手が担う仕事の意義は、その成果だけにあるのではありません。仕事を通じて人と関わり、成功や失敗を重ねるなかで、何を考え、どう判断し、どんな場面で力を発揮するのかという「文脈」が、少しずつ周囲に共有されていきます。その文脈があるからこそ、将来より大きな仕事を任されるようになるのです。
いま上の立場にいる人も、十分な時間をかけて周囲からの評価を積み重ねたうえで、重要な業務を任されるようになったはずです。そうした時間と機会の格差を無視し、能力主義的に若者を評価する危険を、私たちは強く認識する必要があります。AIによって若手が仕事を失うということは、周囲と時間を共有し、自分という人間を少しずつ理解してもらう価値ある過程そのものが、失われてしまうということなのです。
AIの世界でよく使われる「コンテキスト(文脈)」という英単語は、この積み重ねの価値を的確に表現しています。
AIから良い答えを引き出すには、してほしいことだけでなく、何のために、どのような背景でその依頼をしているのかまで伝えることが大切です。最近のAIはある程度は会話の記憶を保持していますが、それでも依頼の背景を十分には考慮できません。文章や画像、動画など、さまざまな方法でこの背景知識を伝えることを、「AIにコンテキストを伝える」と言います。
よく考えてみれば、私たち人間もまた、コンテキストの塊です。同じ言葉でも、誰が、どのような経緯で発したかによって、その意味が異なります。
長く一緒に働いてきた人の短い一言に重みがあるのは、その人の価値観や人となりを、苦楽を共にした私たち自身が知っているからです。一つの言葉の背後に、膨大な交流の記憶が圧縮されているのです。
こういったコンテキストの蓄積はやがて、その人を理解し、仕事を任せ、ともに行動するための根拠になります。私たちはそれこそを、「信頼」と呼びます。
もっとも大切なのは、AIの力を用いても、この「信頼」というコンテキストは一朝一夕には育たないという事実です。深い信頼は、ただ成果を大量生産し、押し付けるだけでは生まれません。
必ずそこには受け手がいて、その受け手が長い時間をかけて成果や交流の記憶を飲み込まなければ、コンテキストは育たないのです。
飲み込むのは人間ですから、AIの力を借りても、この時間を極端に短くすることはできないでしょう。成果の作り手ではなく、受け手としての私たち生身の人間の側に、長い時間が必要なのです。
社会に出たばかりの若者には、総じて、まだ十分なコンテキストがありません。彼らが信頼されるに値しない人間だからではありません。能力や人間性がないからではありません。単に、周囲と時間を共にし、自分を知ってもらう機会がまだ少ないからです。
にもかかわらず「信頼が足りない」と言うなら、社会が与えなかった時間と機会の責任を、本人の側に負わせることになります。能力主義に基づいて形作られた社会構造でこれからの若者を選別する歪みが、ここにあると言えます。
したがって、若い人に「AIに負けるな」と言うのではなく、「信頼される人になりなさい」とただ説くだけでもなく、その人のまわりに信頼が育つ時間と機会を、社会が十分に与えることが必要です。すぐに成果が出なくても、まだ信頼が築けなくても、早急に見限らない態度がとても大切なはずです。
信頼は、本人が一人で努力すれば作れるものではありません。相手が自分を知るまでそばにいて耳を傾けてくれること、まだ十分な理由がなくても、ひとまず受け入れてくれることから始まります。
これからも、「AIに負けるな」「人間の役割を守れ」という声を、あちこちで聞くことになるでしょう。しかし、社会が真に守るべきなのは、まだ何者でもない人がむやみに値踏みされることなく、失敗し、学び、誰かとのあいだに信頼というコンテキストを育てていける時間と場所であるべきです。






