《宗教とAI⑥》「コンテキスト」育てる責任(1/2ページ)
大阪医科薬科大特務講師 佐々木斎生氏
今年の5月、数学の世界で、AIをめぐる大きな出来事がありました。数学者ポール・エルデシュが80年ほど前に提起した「単位距離予想」が、AIの見つけた反例によって覆されたのです。
平面上の点のあいだに、同じ距離の組をどこまで多く作れるかという組み合わせの問題です。AIは単純な総当たりではなく、代数的整数論という別分野の知見を用いて試行錯誤し、予想を破る配置へたどり着きました。
さらに7月には、代数幾何学の未解決問題「ヤコビアン予想」に、数学者がAIを用いて三変数の反例を発見しました。こうした新発見のペースは、いまも加速しています。
ほんの少し前まで「AIには計算はできても、ひらめきはない」とよく言われていました。しかし、こうした成果を目にすると、計算とひらめきのあいだに本当に明確な線引きがあるのかと、考えざるをえません。
もちろん、AIの発見も無から生まれたわけではありません。その土台には、多くの数学者が築いてきた理論があります。エルデシュの予想に代数的整数論を使うという考え方も、AIが初めて思いついたものではありません。
それでも、人間の研究者が分野を横断して粘り強く考え、同じような試行錯誤の末に反例を見つけたなら、私はそれを見事なひらめきと呼ぶでしょう。
「AIは過去のパターンを組み合わせているだけだ」という見方も、ある意味では正しいと言えます。しかし、人間のひらめきもまた、それまでの経験や知識と切り離して考えることはできません。
人の頭の中には、学んだ事例や失敗した経験、別分野の考え方などが蓄えられています。私たちはさらに、日々の生活や習慣、触れたものや素朴に思ったことまでもデータとして参照し、そこから共通する理をすくい上げ、離れた事柄のあいだに新しいつながりを見つけます。それが、私たちの呼ぶひらめきではないでしょうか。
注意が必要なのは、現在のAIが「数学者を超えた」という見解もまた誤りだという点です。反例をひとつ発見することと、新しい理論体系を築き、数学の地平を切り拓くことのあいだには、今も途方もない距離があります。
しかし、その距離が大きいことは、そこに人間にしか越えられない質的な壁があることを意味しません。AIの進歩の速さを考えれば、現在は遠く見える二つの地点が、実は想定よりもはるかに近い可能性も十分にあります。
数学におけるこの「ひらめき」は、より広い分野では「創造性」と言い換えられるでしょう。そうすると、「単純な仕事はAIに任せ、人間は創造的で本質的な仕事をすればよい」という想定も、決して確実ではないことになります。
私が実際に心配していることは、しかし、この予想の当否そのものではありません。「人間にはまだ創造性がある」という励ましが、逆に個々人に対する不当な評価へすり替わってしまう可能性です。
AIに置き換えられた仕事を「AIにもできる程度の仕事」と呼べば、その仕事を担ってきた人まで低く評価されます。「最後に残るのは人間の真心だ」と言えば、職を失った人は、能力だけでなく、真心まで足りなかったことにされかねません。
創造性までもがAIによって代替されるようになれば、雇用や産業構造の変化は、個人の努力だけではどうにもならない社会変動となります。その、本来は不可避のはずの喪失が、個々人の内面や人間性の問題へと転嫁されてしまう事態を、大変危惧しています。
そして、この影響を最初に受けるのは、おそらく私よりも若い世代です。
組織にとって最もAIで代替しやすいのは、まだ定型的な仕事しか任されていない新人です。新卒採用の縮小や雇い止めといった形で、こうした人材から順に雇用が失われていくことが想像されます。






