スポーツと他力
― 中井正一『美学入門』にみる仏教の受容と修行の在り方 ―
はじめに
スポーツは、私たちの日々の活動の中でも特に努力を要するものであろう。競技者は、自分を鍛えて勝利や記録を目指す。より速く、より強くと自らが望む身体動作を可能にするため、厳しいトレーニングや練習に取り組む。そこには、精神的な強さも求められる。周囲の指導やサポートがあったとしても、競技の場に立つのは自分ひとりである。ラグビーや野球のようなチームスポーツでも、試合が展開するその瞬間に反応し行動するのは、ひとりひとりの選手なのだ。スポーツとは、自力でどこまでできるかを追求する場であると言えよう。
こうしたスポーツの中に美を感じ取り、仏教にいう他力を見出したのが近代の美学者、中井正一(1900~1952)である。中井は、1922(大正11)年に京都帝国大学に入学し、西田幾多郎、深田康算らに学んだいわゆる京都学派の一人である。大学院を経て京大講師となるが、雑誌の執筆出版活動が治安維持法違反と見なされ検挙された経験を持つ。戦後は、地方における文化教育活動に取り組み、出身地の広島県尾道市の市立図書館館長を務めた。1948(昭和23)年には新たに発足した国会図書館の副館長となり、図書館法制定にも尽力した。
このように中井は、戦後における社会教育の拡大と発展に貢献した人物であるが、学者としても多数の著作を残した。主著のひとつである『美学入門』(1951)の中で、中井はスポーツから生じる感覚を他力と関連づけて論じ、それが東洋と日本の芸術に見いだされる美感であると述べている。他にも中井の著作には、漕艇や水泳、競走などのスポーツにおける身体感覚がしばしば提示され、哲学的な思索とともに語られる。スポーツと美感、さらには仏教の他力という一見無関係のように思われるものを重ね合わせる論考は、中井美学の特徴であろう。この独特な思索は、どのようにして生まれたのであろうか。
中井は、広島県の伝統的に信仰が篤い地域に育ち11本籍は広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)。安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の信仰者が多い土地柄である。、両親の影響もあって幼少時から浄土真宗に親しみ、19歳の折には同宗派の仏教学院である「行信教校」221882年、大阪の本照寺に設立された仏教学院。指導運営にあたった僧の利井明朗、鮮妙兄弟も、中井家と交流があった。に学んでいる。その後、京都帝国大学では学業のかたわら漕艇部で活動するが、そうした個人的な経験が単純に著述の中で結びついたわけではない。中井の初期の論考、特に30代で書かれた「スポーツ気分の構造」などは、西欧哲学をもとにスポーツを検討しており、仏教的な語彙は用いられていない。著作に仏教美術や経典に対する関心が示され、スポーツに他力を見出す記述が表れるのは、40代以降のことである。
この間には、戦時の緊迫した社会状況があり、中井個人にとっても大きな苦難があった。その時期を中井は耐え忍びつつ、仏教の信仰をいっそう深めそれを基盤として戦後、多くの著作を執筆した。本稿は、『美学入門』を中心とする中井の芸術論から、特にスポーツと関連づけて論じられる部分を取り上げ、そこに表れる浄土真宗の影響と思索の発展について考察する。そして、中井が取り組んだ中国の史書『資治通鑑』の完読を独自の仏教的な修行と捉え、それが美感についての思索に大きな影響を与えたことを述べてゆきたい。
スポーツの中に、美感と他力がいかに見いだされたのかという問いは、中井の美学論への理解を深めるとともに、スポーツと信仰が持つ力についての新たな視点を拓くものとなり得ると考える。
Ⅰ スポーツ論の発展
まず、『美学入門』について短く述べる。この著作は、1951(昭和26)年に、河出書房「市民文庫」の一冊として刊行された。廉価な文庫本は、戦後、新たな知識を求める人々に広く受け入れられたであろう。中井もそのような読者の期待、要求に応じようとした。「美学とは何を学ぶ学問であろうか。大体人々は価値のあるものとして、真実であること、善良であること、美しくきれいであることの三つを好み、尊敬し、愛するのではないだろうか」という、誰もが頷けるような平易な書き出しには、一般読者を読み手として書いた姿勢がうかがわれる。
この書は第1部と第2部に分かれており、第2部が美学に関する哲学史を述べる内容となっている。教科書的に美学の入門書を書くのであれば、まず第1部でプラトンやアリストテレスから語り始めそうなものであるが、中井はそれを後回しにし身近で具体的な内容を語り掛けるように綴る。軍隊を軽蔑しきっていた友達が、軍人を見ると敬礼したくてたまらなくなるという挿話なども書かれ、戦争で疲弊した読者への共感が読み取れる。本書は美学を論じてはいるが、随筆的な部分もあるユニークな教養書であると言えよう。




