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宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
中外日報社「宗教文化講座」
第22回「涙骨賞」受賞論文 本賞

スポーツと他力

― 中井正一『美学入門』にみる仏教の受容と修行の在り方 ―

大嶋利佳氏
大著を読み通す「修行」

このように、信仰においても自己を揺るがすような絶望的な状況の中で、中井は『資治通鑑』の通読を自らに課したのである。この行為の意味を考えてみたい。

中井は、拘留中に受けた拷問について詳細を書き残していない。「殴られたり、殴られるよりもっとひどい目にあった」と抑えた書き方をしている。それでも理不尽に拘束され暴力を受けることは、身心両面に癒しようのない体験であろう。中井は、この記憶を抱えたまま中国史を読むことを、肉体的にも痛く苦しいと書いている。暴力の記憶が、現代で言うところのトラウマとなったのであろう。その中で長大な漢文書籍を1年半もかけて読み通すとは、驚くべき精神力である。これはある種の修行と言える行為ではないだろうか。他力による救いを信仰する浄土真宗は、他の宗門のような修行は設けていない。しかし、『資治通鑑』を通読したことは、中井が自らに課した仏教的な一種の修行であったと考えられるのである。

湯浅泰雄2121湯浅泰雄(1925~2005)桜美林大学名誉教授、哲学者。は、日本仏教における修行の在り方を検討し「修行とは、世俗的な日常経験の場における生活規範より以上のきびしい拘束を自己の心身に対して課することである。そしてそれによって、社会の平均的人間が送っている生き方以上の『生』Leben mehr als に至ろうとすることである」2222湯浅泰雄『身体論 東洋的心身論と現代』、講談社学術文庫、1990年、p.123 原文には「より以上」に傍点がつけられている。と定義づけている。そしてその修行が目指すところを、「『無我』において存在の真相を見ることである」とし、「自己が『無我』というみえざる究極の原点につながった自己―いわば本来的自己―になるとき、人は新たなる『開け』Offenheit の地平を展望するに至り、世界における存在者の真の意味を正しく認識するに至るであろう」2323同前p.124と述べている。

この湯浅の言葉に照らせば、中井はまさに、苦しい読書によって己の心身に厳しい拘束を与えた。『資治通鑑』の残虐な内容に直面することは、単なる読書とは比べものにならない負担を強いる。ましてそこには、数多くの諫官の眼が官憲に屈さざるを得なかった中井をにらんでいるのである。中井は、その読書を通じて我を脱し、自己を存在の原点につなげようとしたのだと言えないだろうか。

仏教における修行の目的は、悟りを開くこととされる。悟りとは、湯浅の言葉にある「無我という究極の原点につながった自己、いわば本来的自己」になることだが、平易に述べれば、仏のこころを我がこころとすることであろう。そのためには、個人の体験を普遍的なものとして捉え直す必要がある。そこに求められるものが「修行」である。

中井が『資治通鑑』を通読したのは、「ひどい目にあったのは自分だけではない」という諦めや慰めを得るためではない。中井は、古代から今に至るまで愚劣な行為を繰り返し死んでゆく人間の姿を、己の姿として受け入れようとした。そして、それを救わんとする仏のこころを再認識し、自分も大衆を救うこころを持つのだと決意したのではないだろうか。だからこそ愛児の死に際し「現世祈り」をする「ほんとうの現にある自分」を痛烈に自覚、反省しなければならず、また、だからこそ『資治通鑑』を途中で投げ出し歴史から目をそむけることを「卑怯」であり「大衆に対して責任がない」と感じるのである。

中井が浄土真宗に強く影響されていることは、多くの評論や研究書でしばしば指摘されている。しかしそれらは、幼時からの環境、特に母親の影響について述べることが多く、大学入学前に行信教校で学んで以降は、特に仏教的な活動をしたとは考えられていない。しかし、逮捕拘留の経験と愛児の死、そして『資治通鑑』の完読を一連の仏教的な試練であり修行であったと捉えれば、それは壮年期の中井にとって、信仰面において特筆すべき人生の転換点であったと言えよう。

「魂の誕生」と「微笑」

中井は、30代においてはスポーツを西欧哲学の知識を用いて検討した。それは、哲学を近代的なスポーツをも検討対象に含め得るものへ拡大したと言え、スポーツ美学の端緒となる革新的な視点であった。そこからさらに人生の困難に直面し、修行とも言える読書と自省の日々を経て、中井の人生観は大きく変わった。『美学入門』に次の記述がある。

一体人間は、二つの魂の誕生をもっているといえよう。世界がこんなに美しく、世の中がこんなに面白いものかと驚嘆する時がある。これが第一の誕生である。そしていつか、それとまったく反対に、人間がこんなに愚劣であったのか、また自分も、こんなにくだらないものだったのかと驚嘆し、驚きはてる時がある。これが第二の、魂の誕生なのである2424『全集3』pp.19-20

「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
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