スポーツと他力
― 中井正一『美学入門』にみる仏教の受容と修行の在り方 ―
Ⅱ 信仰の深まりと独自の「修行」
中井の人生には、特筆すべき出来事が数多くあるが、木下長宏1010木下長宏(1939年~)横浜国立大学名誉教授、美術史学者。著書に『中井正一 新しい「美学」の試み』(リブロポート1995 / 平凡社ライブラリー 2002)等がある。は、「中井の知的生涯は四期に分けることができる」として次のように整理している。1111中井正一『日本の美』、中公文庫、2019年、p.231に掲載された木下長宏の解説をもとにして要約を記した。
第一期 1925年、京都帝国大学を卒業し、美学研究と雑誌編集に従事した12年間
第二期 1937年、治安維持法違反で検挙され、軍事政権に従順な研究態度をまもった7年半
第三期 1945年、広島に疎開し尾道市図書館長に就任、敗戦後広島県知事に立候補した3年間
第四期 1948年、国立国会図書館副館長として東京に出て、亡くなるまでの4年間
この木下の分類に従えば、「スポーツ気分の構造」、「スポーツの美的要素」は第一期に書かれ、『美学入門』は第四期にあたる。中井にとって、もっとも厳しく苦しい時期は言うまでもなく第二期である。第二次世界大戦に向かう軍国主義の時代の中、治安維持法で逮捕され、釈放されたものの監視下での生活を強いられていた。この期間に、本稿では特に中井の生き方と思索に強い影響を与えたと考えられる体験があることを指摘したい。それは中国の史書『資治通鑑』の完読であり、さらにその契機ともなった愛児の死に際しての宗教的な認識の深まりである。
まず、『資治通鑑』について『美学入門』に書かれている部分を示す。第1部の「2 芸術とは何であるか」の章において、中井は、ダンテの芸術表現を引きながら人生、人間、そして自分自身の愚劣さを語る。そして「世の中が驚きはててしまうほど、愚劣が巨大である時、自分の愚劣があまりにばかばかしいとき、(…)ここに芸術の世界があるのである」1212『全集3』p.21と述べる。それに続けて、自身が拷問を受けた際の思いが綴られる。
私も、戦争に反対したというので、特高に引っ張られて、なぐられたり、なぐられるよりもっとひどい目にあった時、この世界に、論理の通らない世界のあること、この人民を守る国家機関の中に、論理がなく、かつ人民を苦しめることが、公然とゆるされていることに直面したとき、突然、私には、この現実が巨大というか「現実とはそんなものだったのか」そうだったのかと、自分の前にそそりたったのを憶えている。それは巨大な現実とでもいうべき世界が、眼前に現れた思いであった。そして突然、古代の微笑の数々が、例えば、中宮寺の観音のような、古代の彫刻によく彫られているほほえみが、自分の眼の前を横切ったように思ったのであった。1313同前 pp.21-22
この後、中井は中国の大同石仏が巨大であるのは人々にとって「現実の愚劣さもまた、巨大であったからかもしれない」と述べる。そして唐突に『資治通鑑』を持ち出す。
『資治通鑑』を読んでみると、まったくそう思える。実に何ともいえない愚劣さが、千年の歴史の中に綴られている。そして、実によい人が、次々にその中で、それと闘って倒れている。この巨大な愚劣に、ほほえみ、生き耐えるためには、あの岩壁を幾万の人が、幾十年を費やしても彫らねばならないものがあったのかもしれない。1414同前 p.22
『美学入門』で同書について触れられているのはこの一節だけで、これを読む限りではその重要性は伝わらない。そこで、これを補うような文章が「現代日本画の一つの課題」(1948)にあるので、引用してみたい。この文章は、中井が昭和の初め頃に大阪の博物館で中国の古い壺を鑑賞し、深い感動を受けるところから始まり、体験談へと続く。
私は昭和十二年支那事変を契機に、自由を失う様な馬鹿々々しい目に会った。しかも、その翌年、病気で軟禁の宅下げとなり、更に更に、目に入れて痛くなかった可愛い四つの男の子を亡くした。この打撃は痛烈であった。ペシミズムとか何とか云う様な存在ではなくして、こんな世界があったのか、こんな現実があったのかと、手探りしたい様な、巨大きわみなき世界、絶壁の如き粗々しい現実が、大きな姿勢で眼前に聳え立った。
(…)
私は自由がないままに、これ(中国の古い壺に対する感動)が契機となって、中国の研究不足を痛感して、資治通鑑を全部読み了る決心をしたのであった。一年半かかってやっと、それを読んだ。想像したよりも中国の歴史は地獄であった。読む内容の苦しさが肉体的にも余り苦しいので、一時、中止したことがあったが、やめて見るとそれは卑怯であり、大衆に対しても責任のない事の様に思って、二ケ月ほどして又続けたこともあった。1515前掲『日本の美』、「現代日本画の一つの課題」pp.216-218カッコ内は筆者が補った。
この部分を読むと「自由を失うような馬鹿々々しい目」である逮捕拘束に、追い打ちをかけるように愛児が死亡したことが分かる。その出来事が『資治通鑑』を読む動機となっている。中井にとって同書の読了は成し遂げなければ「卑怯であり、大衆に対しても責任のない事」となる重大な決意であった。
中井がこれほどまで思い詰めて読了した『資治通鑑』とは、どのような書籍であろうか。同書は、中国の戦国期より五代に至る1362年間の歴史を綴ったもので全294巻に及び、全編にわたり権力者の圧政や人々の間の権謀術数、闘争が描かれる。その中で数々の事件が起こり、当事者だけでなくその家族や友人知人まで監禁、拷問、殺傷されている。ごく一部を読むだけでも「地獄であった」という中井の感想が頷ける。




