ブッダと如来 釈尊のなかの人間性と永遠性…森章司著
ブッダ(buddha)と如来(tathāgata)には違いがある――。生涯をかけて原始仏教聖典を研究する著者は近頃、原始経典中に、釈尊が自らのことを「ブッダ」とは言わず「如来」と名乗っていたことを発見した。仏教ではブッダと如来は呼び方の違いであり、漢訳の歴史でも厳密に使い分けることはなかった。だが、全てのパーリ語の原始経典を調べた著者は「釈尊ご自身は、ご自分のことを如来と呼び、決してブッダと呼ぶことはなかった」と解説する。
わずか80㌻だが、仏教の根幹である「如来」「ブッダ」「悟り」「無記」等の定義・解釈について、従来の学説にないような刺激的な内容にあふれ、仏教界に大きな波紋を広げるだろう。同書によれば、諸法の実相を如実知見する智慧を持つ釈尊の人間的な側面を「ブッダ」と呼び、久遠実成たる無限の世界から出現した超人的な側面を「如来」といい、それぞれの悟りも異なるという。
著者の視点はスケールが大きく「2つの言葉の背後に、釈尊が入滅されてから現在までの2500年もの仏教の歴史の中で私たちが気がつかなかった、例えば釈迦仏教と大乗仏教などの真実が隠されている」「本書はその発見の発端だけを語る」と述べている。連続講話会「現代仏教塾」の講演録。
定価1430円、恒河書房(電話045・952・2811)刊。