PR
購読試読
中外日報社ロゴ 中外日報社ロゴ
宗教と文化の専門新聞 創刊1897年
中外日報社「宗教文化講座」

特攻兵士の語り部 岡出とよ子さん(84)

ほっとインタビュー2024年7月25日 10時33分
特攻兵士の語り部 岡出とよ子さん おかで・とよこさん=1940年、三重県生まれ。宇治山田高卒。父が運営していた攻空寮(同県伊勢市)で5歳まで育つ。50代から、辞世の句を寮に残した特攻隊員の遺族を捜す活動を始め、現在は辞世の句に込められた思いや特攻隊と過ごした幼い頃の経験を語り継いでいる。冊子『特攻兵士 魂の叫び』は全国紙で紹介されて一般からの贈呈希望が相次ぎ、用意していた約6500部がほぼ払底した。

太平洋戦争中、飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした特攻兵士が出撃前に寝泊まりした民間寮「攻空寮」で育った。戦後、寮に残された特攻兵士の辞世の句に突き動かされるようにして、幼き日の経験を現代の人々に語り継ぐようになった。2020年には特攻兵への思いをつづった冊子『特攻兵士 魂の叫び―特攻兵士と暮らした五歳の私』と、辞世の句を記した短冊のレプリカを作成し、慰霊のために全国の護国神社に奉納した。

岩本浩太郎

攻空寮というのはどういう所なんですか。

岡出 戦前、三重県伊勢市の明野に陸軍飛行学校(現陸上自衛隊航空学校)があって、そこで将校となった兵士が寝泊まりする寮でした。太平洋戦争の末期になると、将校となった若い兵士は特攻に行かなければならなかったそうです。寮は現在の近鉄伊勢市駅から程近い歓楽街にあり、父の酒徳喜作が運営していたため、私は幼い頃にそこで暮らしていました。

寮での特攻兵はどんな様子でしたか。

岡出 常時、数十人くらいの兵隊さんがいたように感じます。女中さんや板前さんもいました。夕方、明野から兵隊さんが帰ってくるとにわかに寮の中が騒がしくなります。夕食時には大宴会が始まり、出征を祝う乾杯の声が上がったり、歌を歌ったりして毎晩にぎやかなものでした。

当時、まだ5歳だった私はまさかこれから死にゆく人の食事会とは夢にも思いませんでした。寮には特攻兵士の家族がしばしの面会を求めて訪れることもありました。明野の飛行学校の偉い人が出征前のわずかの期間だけでも兵営外の空気を吸わせてあげたいという配慮があったのかもしれません。

悲愴な様子は全く見受けられなかったのですか。

岡出 兵士が出征する朝は夜のどんちゃん騒ぎがうそのように張り詰めた雰囲気でした。私は父母と女中さん、板前さんと玄関に横一列に並んで出征兵士に「いってらっしゃいませ」と言って、頭を下げたっきりで送り出します。

ある兵士が出征する朝、いつものように頭を下げていた私を兵士がぎゅっと強く抱き締めました。そして、私の耳元で「とよ子ちゃん、行ってくるよ」って言うんです。私はその兵隊さんが帰ってくるとばかり思っていました。ずっと帰りを待っていました。

事情が分かるようになるのはずっと後ですね。

岡出 40代の時、沖縄戦激戦の地・摩文仁の丘(沖縄県糸満市)の平和祈念像を目の当たりにした際に「ああ、帰ってこなかった兵隊さんは…

つづきは2024年7月10日号をご覧ください

妖怪研究の地平を切り開いた第一人者 小松和彦氏

妖怪研究の地平を切り開いた第一人者 小松和彦氏

4月20日

「妖怪は迷信ではなく日本文化を読み解く鍵です」――埋もれた妖怪文化を再発見し「妖怪学」を確立した。京都市西京区の国際日本文化研究センター(日文研)で共同研究を立ち上げ、中…

司馬遼太郎記念館の館長 上村洋行氏

司馬遼太郎記念館の館長 上村洋行氏

3月24日

作家の司馬遼太郎氏(1923~96)が亡くなって今年で30年がたった。大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館も2001年11月1日に開館してから25年の節目を迎える。同館の上村…

イランの民族楽器サントゥールを演奏する 谷正人氏

イランの民族楽器サントゥールを演奏する 谷正人氏

2月24日

イランの民族楽器サントゥールを現地で学び、演奏活動と音楽学の研究を両輪で進める。サントゥールは、台形の木材(共鳴胴)に張られた72本の弦を打つ打弦楽器。先端をフェルトなど…

ふつうの国とは 重要なのは対話による外交(4月15日付)

社説4月17日

行方不明・身元不明 宗教者の悲嘆への寄り添い(4月10日付)

社説4月15日

世論と政府の意思表示 平和を願う国民の声(4月8日付)

社説4月10日
「墨跡付き仏像カレンダー」の製造販売は2025年版をもって終了いたしました。
長らくご愛顧を賜りありがとうございました。(2025.10.1)
中外日報社Twitter 中外日報社Facebook
このエントリーをはてなブックマークに追加