沖縄の現代史を描く映画を監督したキャスター 佐古忠彦氏(60)

本土復帰から53年を迎える沖縄の現代史を描くドキュメンタリー映画「太陽の運命」の監督を務めた。大田昌秀、翁長雄志両知事が民意を背負い国と対峙した姿から日本を照らす。「事実に関する認識を共有できていたかを確認し、来し方を見つめる議論の材料にしてほしい」と話す。
磯部五月
長年報道に携わってこられましたね。
佐古 スポーツアナウンサーとして1988年にTBSに入社しました。ソウルオリンピックがあった年で、そのような募集は後にも先にもその時だけだったようです。最初は野球実況がしたかった。6年間は野球場からの実況のほか駅伝の中継車にも乗り、夕方や週末のスポーツニュースでキャスターも担当しました。そのうちに選手の生きざまや試合の裏側を描くスポーツドキュメンタリーにも関心が向きました。スポーツ担当を続けるか、報道に進むかを自身で選べるタイミングがあり、視野を広げたいと30歳の時に報道に移りました。
95年は阪神・淡路大震災に続いて地下鉄サリン事件などオウム真理教に関する一連の出来事があり、山梨県の旧上九一色村の第6サティアン前から中継を続けました。沖縄では少女暴行事件が起きた年でもあります。社会的に大きな事件が連続して起き、たくさんのことを経験しました。
沖縄と深く関わることになったのは、翌96年に筑紫哲也さんの報道番組「NEWS23」に参加したことが契機でした。筑紫さんは沖縄が日本に復帰する前、朝日新聞の特派員でしたが、その際、自身の誕生日の6月23日が沖縄県の「慰霊の日」だと知り「自分の誕生日を祝うことができなくなった」と話していました。それを原点に深い思いを持ち続け「沖縄に行けば日本が見える。この国の矛盾が詰まっている。まともなジャーナリストならば沖縄に行ったら目を背けられない」と話していました。
NEWS23で私が初めて制作した特集は日米地位協定に関するものでした。容疑者の身柄の拘束もできず、被害者に対する補償も不十分な様を目の当たりにしました。日米安保や地位協定の話になるとイデオロギーの話だと思いがちですが、生活の問題だと気付きました。なぜこのような不平等、不条理が続いているのかと歴史をさかのぼっていくうちに自分自身のテーマになっていきました。
最新作「太陽の運命」では2人の沖縄県知事に着目されました。
佐古 沖縄では、リーダーと民衆の信頼関係が結ばれていると感…
つづきは2025年5月14日号をご覧ください