「中日仏学会議」レポート(1/2ページ)
創価大大学院教授 菅野博史氏
「第9回中日仏学会議」が11月1、2日に、北京の中国人民大学で開催された。人民大学には、中国の教育部に認められた100の研究基地の一つである「仏教と宗教学理論研究所」(2000年成立。張風雷所長、張文良副所長)がある。中外日報社と中国社会科学院世界宗教研究所共催の日中仏教学術会議の精神を継承して、2004年に開始された会議も第9回を迎えた。この会議は2年に1度開催されてきたが、コロナ禍のために、第8回と第9回の間には実に6年が過ぎた。
今回の総合テーマは「『維摩経』と東アジア仏教」であった。今回の会議では、日本と中国からそれぞれ5人の学者が研究発表をした。
まず日本側の発表(発表順)は、菅野「『維摩経』における入不二法門の諸解釈」、蓑輪顕量(立正大学教授)「日本における『維摩経』受容について」、梅田愛子(仏教学こころの研究所研究員)「Vimalakīrtinirdeśaのyamakaputa構造」、山口弘江(駒澤大学教授)「『天台維摩経疏』における維摩詰解釈の諸相」、濱田瑞美(横浜美術大学教授)「敦煌莫高窟の維摩経変」であった。
中国側の発表は、程恭讓(上海大学教授)「梵本『維摩経』「尽無尽菩薩解脱」法門の義理注釈」、趙文(南開大学副教授)「『維摩詰経』と『般若経』における「般若仏母」の観念」、向慧(河北大副教授)「『注維摩詰経』における道生の「理」に関する理解」、楊祖榮(福建師範大学副教授)「経典の注疏から民衆教化へ」、宣方(中国人民大学副教授)「『注維摩経』における道生注と僧肇注の比較」であった。
今回の会議では3篇の論文が梵本『維摩経』の研究であったことと、『注維摩詰経』に関する論文が3篇あったことが印象的であった。以下、私の個人的な関心から、『注維摩』を中心として述べる。
西暦紀元前後頃に中国に仏教が伝わってから、400年が経過した頃、鳩摩羅什が長安に到着した(401)。彼はすぐれた漢訳を残しただけでなく、自ら仏教経典の講義をし、多くの中国人仏教徒を育成し、中国仏教に大きな影響を与えたことは周知の事実である。彼の翻訳した『維摩経』に対して、弟子の僧肇と道生の注釈と羅什自身の注釈を編集した『注維摩詰経』が現存する。この合注本がいつ編集されたかは不明であるが、もともと僧肇の注釈は注の形式で書かれたものであり、道生のものは疏の形式で書かれたものであると推定されている。
当時の中国仏教界では、ようやく仏教に対する深い思想的研究が始まった頃であり、その大きな成果の一つが『注維摩』であるといっても過言ではない。
『注維摩』は中国仏教史の初期の重要な2人の思想家、僧肇と道生を比較するうえで重要な著作であること、鳩摩羅什自身が残した経典注釈を直接知ることのできる唯一の著作であること、中国仏教史を通じて一貫して人気のあった『維摩経』の最初の注釈書であることを理由として、『注維摩』の重要性は広く認められている。その後、『維摩経』の注釈書を作成した浄影寺慧遠、吉蔵、智顗などもみな『注維摩』の大きな影響を受けているといえる。
道生は僧肇の注釈に対して不満を感じて、改めて注釈を作成したといわれるので、2人の注釈の相違が研究課題となる。今回の会議では、宣氏がこの問題を新しい視点から扱った。宣氏は、声聞が維摩の病気見舞いを辞退する弟子品のなかの舎利弗と維摩詰との「宴坐」に関する対話を取りあげて、僧肇と道生の注釈の相違を分析した。私には次の3点の指摘が興味深かった。
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