《宗教とAI➀》人間中心主義と異なる生命観(1/2ページ)
早稲田大教授 師茂樹氏
人工知能(AI)の普及によって、様々な社会問題が指摘されるようになってきている。宗教の世界でも、AIについての話題は事欠かない。
そのような中、カトリック教会(教皇庁教理省、文化教育省)が2025年1月に発表した「古きことと新しきこと:人工知能と人間知能の関係に関する覚書」(“Antiqua et nova. Note on the Relationship Between Artificial Intelligence and Human Intelligence” 日本語訳はカトリック中央協議会のウェブサイトに掲載)は、宗教とAIとの関係に関心を持ってきた筆者を含む人々から注目されることとなった。
この文書には、人間は「神の似姿」として造られたという人間観と、それに基づく「尊厳」を基盤とした人間中心の倫理観が貫徹している。人間の知性については、『聖書』やトマス・アクィナスらの著作、歴代教皇が示してきた見解に基づきながら、人間の知性とAIとを明確に区別する。そしてそれに基づき、「AIと社会」「AIと人間関係」「AI、経済、労働」「AIとヘルスケア」「AIと教育」「AI、偽・誤情報、ディープフェイク、情報の濫用」「AI、プライバシー、監視」「AIと、私たちの共通の家(である地球環境)の保護」「AIと戦争」「AIと、人類と神との関係」といった具体的な課題に対して指針を示している。たとえば「AIと教育」を見てみれば、「真の教育は、人間の究極目的の達成に向けて、……社会が目指す善の実現に向けて、人格を形成していく」ことであり「頭と心と手の緊張の中で危険を冒すこと」だ、という第二バチカン公会議(1962~65)のことばが引用されたうえで、教育において生徒や学生がAIを用いることに対して牽制している。筆者も大学教育に携わっているが、首肯し得ることが少なくない。
筆者がこの文書に注目したのは、キリスト教の分厚い伝統知に基づいてまとめられた内容面だけではない。この文書は、教皇の問題意識に基づき、「信仰を伝える責務を負う者」(聖職者など)とともに「科学技術の進歩は、人間と共通善に奉仕することを目指すべきだという確信を共有する者」にも向けて発せられた公式文書であり、カトリック教会の中だけでなく外に対しても発信されている。こうした内容の文書を比較的短期間でまとめあげ、全世界に向けて公開することができる組織力に(何度も見てきたはずであるが、今回も)驚かされた。この文書に先立つ2020年には、教皇庁生命アカデミー、マイクロソフト、IBMなどが、AI倫理促進のための文書である“Rome Call for AI Ethics”に署名を交わすなど、カトリック教会は単に見解を発信するだけでなく、具体的に大手テック企業に対して働きかけもしている。今後、宗教的な価値観に基づいたAI倫理の社会実装において、カトリック教会は大きな役割を果たしていくものと思われる。
このような文書や活動を成立させている議論の蓄積や組織力、行動力には感服せざるを得ないが、一方で“Antiqua et nova”を読んでいると、仏教における考え方との違いも目につく。
そして、このような倫理観だけが普及するのはよいのか、という懸念もある。
たとえばこの文書では、人間の知性は、AIと異なるだけでなく「人間を動物界から区別する」ものであるとも言われている。しかし仏教においては、人間は動物(畜生)に、動物は人間に輪廻するものであるし、人間の知性を上回る動物である龍や、帝釈天などの天界の衆生(神々)も存在する。衆生それぞれの境遇によって知性のあり方は異なるが、五蘊仮和合などの本質は共有している。輪廻や龍、帝釈天などの仏教神話的存在を前提とできる文化圏は言うまでもなく、そうではない文化圏においても、人間中心主義とは異なる人間観、生命観を持っているところは少なくない。
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