《宗教とAI➀》人間中心主義と異なる生命観(2/2ページ)
早稲田大教授 師茂樹氏
またこの文書では、身体の重要性が強調され、「人間の知的能力は、人間が『身体と魂の統一体』である」と見ることが不可欠であると述べる。仏教の文脈においても、身体性を欠くAIと、肉体を持つ人間を区別する言説は見られる(松本紹圭「AI時代のヒューマン・リテラシー:仏教と哲学に学ぶ人間性と、種を超えた対話の道」など)。人間に限定すれば、知性にとって身体性は重要なのかもしれないし、仏道修行などにおいても、身体を通じて学ぶことの重要性が強調されることも多い。
しかし、やはり仏教の「衆生」という考え方を踏まえれば、物理的な身体を持たない無色界の衆生や、意識だけの存在である中有(中陰)など、生命の要件として肉体は必須ではない。仏典の中には、こういった肉体を持たない衆生であっても仏道修行の主体となり得ることが説かれているので、仏教において身体性と知性との関係は必然的なものではないと思われる(付け加えるならば、修行に関して身体性を強調することは、身体に障害がある人々などを排除することにならないのか、という懸念もある)。
ここで筆者は、キリスト教の伝統知に基づいた人間観を否定したり批判したりしたいわけではない。
カトリック教会は自らの使命に基づいて組織を作り、情報発信をする努力を重ねてきたのであり、仏教的な倫理観が社会的に認知されていないのをキリスト教のせいにすることはできない。
残念ながら、カトリック教会のような組織力を持たない筆者のような一研究者が人間観や倫理観を吐露したとしても、それが社会を変えるような大きな力となることは難しい。やはり、それなりの組織と予算を持った団体が、様々なステークホルダーを巻き込みながら継続的に議論を重ね、提言などにまとめていく努力をしなければ、社会を変えることなどできないであろう。
またそのためには、『中外日報』をはじめとするメディアを通じて、問題意識が共有されることも重要となる(願わくば、このエッセイがそのような方向への一助とならんことを)。
仮に仏教界にそういった合議体ができ、“Antiqua et nova”のような文書を発信する力が持てたとしても、それだけでは不十分である。実効的な倫理観を社会に実装するためには、他宗教と対話をし、共同でAI倫理を形成していかなければならない。個々の宗教の持つ倫理観を尊重するあまり、各文化圏で異なった倫理が実装されてしまうと、ある文化圏では問題になることが別の文化圏では問題にならないといったことが起きてしまう。特定の倫理観を、他の倫理観を持つ人々に押しつけることはすべきではないが、一方で宗教や文化を超えた(ある程度の)普遍性を持った倫理観が共有されることも社会実装には必要となる。
宗教間対話においても、第二バチカン公会議をはじめ、カトリック教会が果たした役割は大きい。また宗教間対話に関しては、ジョン・ヒックやポール・ニッターなど、キリスト教神学者が提案してきたものが理論的な礎となっている。筆者は仏教研究者なので、今後の仏教学界がどのような研究を進めていくべきか、ということを考えるのであるが、欧米の仏教学界に目を向ければ、仏教を哲学の一つとして研究する傾向が次第に強くなってきている(2025年にライプツィヒで開催された国際仏教学会の会長講演はそれがテーマであった)。
そこでは存在論や認識論などに加え、ジェンダー問題や白人至上主義などを扱った研究もある。また、ダミアン・キーオンに代表される仏教倫理学(Buddhist ethics)の流れもあり、現代の諸問題について議論がなされている。日本の仏教学界で主流の文献学は決して軽視されるべきではないと思うが、それに偏ったままで良いのか、という問題提起はなされても良いように思う。
対話はいかに可能なのか。それに基づく仏教的倫理の社会実装はいかに可能なのか。様々な立場の人々が、理論と実践について考え始めるべき時期が来ているのかもしれない。
「宗教とAI」をテーマにした「論」を連載する予定です。
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