日蓮遺文の真偽論と思想史観(1/2ページ)
「法華仏教研究」編集長 花野充道氏
2023年の12月、山上弘道氏が『日蓮遺文解題集成』を上梓された。山上氏の永年の研究成果に基づいて、日蓮遺文を真撰・真偽未決・偽撰の3種に判別して示された労作である。
山上氏は、昨年の「中外日報」8月30日号の「論」において、「日興門流、興風談所所員」の肩書で執筆し、その中で、「偽撰遺文は、日蓮の思想が滅後、各門下によってどのように受けとめられ、そして変貌していくかを知る上で極めて重要な資料である」として、「日蓮偽撰遺文学」という研究テーマを提唱された。
しかし、私のような思想史研究者からすれば、山上氏の提言は日蓮滅後の日蓮思想の展開をどのようにとらえるか、という各研究者の「思想史観」の問題であると言ってよい。これと同じことは、すでに鎌倉新仏教祖師の思想史研究でも、天台本覚思想文献の時代設定(成立年代推定)の問題として議論されているからである。
拙著『天台本覚思想と日蓮教学』の中で指摘したように、佐藤哲英・井上光貞・石田瑞麿などの親鸞研究者は、天台本覚思想の主要な論理が出揃う『三十四箇事書』の成立を院政末期として親鸞の思想を考察している。対して、浅井要麟・執行海秀・田村芳朗などの日蓮研究者は、その『三十四箇事書』の成立を鎌倉中期まで下げて日蓮の思想を考究している。
両者の時代設定の相違は、島地大等氏によって提示された「母胎説」の仮説をどのように受け止めるか、という問題意識に基づいている。島地氏は、親鸞や日蓮の思想に天台本覚思想の影響を読み取り、「鎌倉新興の教学は何れも中古天台を母胎として発生した」という思想史観を提示された。
親鸞の思想史研究者、たとえば井上光貞氏は、島地氏の提言を肯定的に受け止めて、『三十四箇事書』の成立→幸西の一念義、および親鸞の信心正因思想の成立、という思想史観を示している。名著と評される井上氏の『日本浄土教成立史の研究』の所論は「井上思想史観」と称されている。
ところが日蓮の思想史研究者は、島地氏が「日蓮上人の教義の殆んど全部が日本中古天台の流れであり延長である」と論じたことに反発して、中古天台教義の見える日蓮遺文を偽書として排除する方向で研究が進められることになった。立正大学の浅井要麟氏は、「慈覚・智証以後の権実雑乱を指弾された日蓮聖人が、中古天台の雑乱仏教を否認されることは、論をまたざるところである」「にもかかわらず、日蓮聖人滅後の学匠が、叡山に、あるいは仙波に留学して、中古天台を学び、その教学を採用して、日蓮宗学を組織した結果、ついに雑乱仏教の影響は抜くべからざるに至った」という思想史観を提示している。
小林是恭氏も、浅井氏の思想史観に同意して、中古天台教義の見える最蓮房への遺文を「本尊抄や開目抄の思想とは対蹠的なほど異なりがある」と述べて疑義視している。このように浅井氏の「祖書学」(遺文のテキストクリティーク)提唱以降は、中古天台教義(天台本覚思想)の見える日蓮遺文を後世の偽作と見る日蓮研究者が多い。
島地氏は「日蓮の教義は中古天台の延長である」と論じたが、『立正観抄』ではその中古天台教義(止観勝法華説)が批判の対象となっている。このことは、どのように考えればよいのだろうか。