鎌田東二氏逝去 越境する学者が目指したもの(7月4日付)
宗教学者の鎌田東二氏が先頃亡くなられた。神道学の出身であるが、民俗学、死生学、比較文明論、スピリチュアル研究など多方面にわたり斬新な探究を進めた。鎌田氏は様々な学問を横断しただけではなく、学問をも越境した多彩な活動を行い、詩や小説のほか、神道ソングライターと称してステージもこなしていた。それだけではない。NPO「東京自由大学」やオンライン形式による京都面白大学を立ち上げ、様々な領域の専門家を結集して、自由な探究と交流の場を創造した。
晩年はステージ4のがんであることを公表し、自らの死を見据えながらも、これらの活動をやめることはなかった。鎌田氏は、そうした姿を吟遊詩人になぞらえて「ガン遊詩人」と自称した。死ぬときも歌を歌いながら死にたいとも言われていた。
とにかく型にはまらない異色の学者であった。鎌田氏が心掛けていたのは、道としての学問、芸としての学問であった。その学風を学術的でないと見なす批判も少なくない中、鎌田氏を教授として迎え入れた京都大こころの未来研究センターの懐の深さも評価すべきだろう。同センターに就任した鎌田氏は、身心変容技法研究会を主宰し「身心変容技法の比較宗教学」の代表者として、学際的な研究を進めた。これは、仏教や修験道における修行、また合気道などの武道における身心変容技法の諸相を、文系・理系の枠を超えて解明しようとする試みだった。その成果は三巻本の大部の研究論文集として刊行された。
鎌田氏の持論は、心は時にうそをつくが、体はうそをつかない、そして魂はうそをつけないというものだった。魂はこの世にあって、この世を超えた存在である。身心変容の鍵はまさにその魂の発見にこそある。鎌田氏がそうした独自の学風を創り出したのは『翁童論』4部作だった。子供は赤児としてこの世にやってきた。老人はやがて死を迎え、あの世へと旅立つ。このように子供と老人は共に生存の両端にいる。生存の両端の向こう側(誕生以前・死後)へのまなざしが、人生を豊かに捉え直してくれる死生観、霊魂観になる。
鎌田氏はこの思想の応用編も考えていた。地域社会の弱体化が叫ばれる中、新たな地域包括ケアとして、子供と老人を交流させる「幼老包括ケア」を提案した。これが実現すれば世代を超えて人の縁をつなぎつつ、地域復興にも資するスピリチュアルなケアの場になるだろう。越境する宗教学者の射程はそこまで延びていたのだ。