熊出没注意
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ」。童話「なめとこ山の熊」で宮沢賢治は、熊撃ち名人と熊との生と死をめぐる因果を描き出した◆東北の山間の故郷では通学の途中や山遊びの行き帰りなどに「熊出没注意」の警告板をよく見かけた。とはいえ実際に目撃したことはなく、祖母が秘蔵していた「熊の胆」のあまりの苦さに閉口した思い出や、観光案内所に置かれた歯をむき出しにした剝製のイメージが強い◆何年かに1度、近所の畑が荒らされたらしいなどと伝え聞くものの、日常生活では交わらないどこか遠い存在だった。しかしふと調べてみるとほんの数日前、実家から数百㍍の場所で自動車と熊とが接触事故を起こしていた◆今年は各地で熊の目撃や被害が相次いでいる。とりわけ人的被害は過去最悪だった2023年度の197件(218人、うち死亡6人)を大幅に上回るペースだ。河川を通り道としているのか中心市街地にも出没しており、人々の不安が高まっている◆こうした事態の要因として、個体数の増加や狩猟者の減少、餌のドングリの不作、緩衝地帯であった里山の荒廃などが指摘されている。熊を駆除せざるを得なかったハンターがテレビの中で合掌していた。その姿は、人と自然との適切な距離やその応報といった問いを我々に投げ掛けていた。(佐藤慎太郎)








