大音量のラジオ
1年前、山陰の山奥にある実家の母が「ぽっくり往生」したのだが、慌てて駆け付けたその日の夜、父が大音量でラジオをかけたまま寝るという奇妙な振る舞いをした◆父にはラジオを聞く習慣があり、最初は妻を突然亡くした悲しみを紛らわすためだと思った。しかし、あまりにもうるさいので翌朝に苦情を言うと「あれは熊除けのためなんじゃ。最近はどこの家もラジオをかけて寝とるんじゃけえ」と真顔で答えた◆筆者の故郷の町では少なくとも30年ほど前から熊の獣害があり、我が家の裏山に箱わなや催涙スプレーが仕掛けられていたこともあった。ただ、近年は熊が民家に侵入する例もあるなど被害は深刻化している◆その日の午後、母の遺体を50㌔ほど離れた市内の葬儀会館に移すため葬儀社の車がやって来た。お別れに来た近所の方々が見守る中、父が葬儀社の社員に「最後に妻に自分の職場を見せてやりたい」と母が定年まで勤め上げた保育所の前を通って会館に向かうよう要望した◆父と筆者も一緒に会館に向かうため家は留守になる。すると世話役の一人が我が家の大音量のラジオにスイッチを入れた。DJの軽快な声や明るい歌謡曲が辺りに響き渡る。こうして母は残された者たちの精いっぱいの哀悼と、「人の死」という文脈の圏外からいや応なく迫る何かに包まれて50年以上暮らした自宅から旅立っていったのだった。(池田圭)









